第10章 MACHAKOをとりまく3人の重要人物!


その1)  日本人離れした男

 

 来年のキューバ生活はどうやっていけばいいものかという不安を抱え始めた頃、私はあるサルサ教室で、私の芝居友達のこずこずから聞かされていた「同じ会社の同期でサルサをやってて、一緒にキューバに行った」っていう男性に偶然出会いました。

 出会ったって言うのか。。。見つかったというのか。。。
 私はその人の顔をこずこずからビデオとかで教えてもらってたんですね。(フェスティバルでラボニータの前のチームに入ってた)だからその教室でも「あ、この人ってもしかして・・・」とすぐにわかったんですよ。
 ところが、です。私にはその人だという確信はないので、声はかけずにいたんですが、むこうのほうからやってきて、こっちをじろじろみては
 「君、どっかであったことないっけ?」っていきなり言うのです。
 「な、ないよー!」と思ったけど(本当に会ったことないから)「もしかして●●さんじゃないですか?こずこずとキューバに一緒に行った!」って言うと「そうですよ」って言うの。(なんか会話がずれてますよね?っつうか反転してない??)
 でもそれでも「私が一体誰なのか」はわかってないみたいなんです。
 「この人一体自分を誰だと思って声をかけたわけ?」っていう疑問が残りつつも「私、MACHAKOです。わかります?(わかってます?)」っていってようやく「あ!わかったーーーー!そうかそうかー写真でみたことがあったんだ!」っていうのです。
 そしたらそのレッスンにきてた友達をつれてきて「この人イントラなんだよ。教えてもらおうよ!」とか大声でいうんですね。
 そこは違う先生のサルサクラスだというのに(私は見学にきてただけ)。それってまずいと思って、私は逃げるように「ぢゃー!」って帰ってしまったんです。
 「なんだあの人ずいぶん馴れ馴れしいよな。。。」っていうのが第一印象でした。

 でもあとでこずこずに聞いてみるとその人は会社をやめて来年からキューバに長く住むんだっていうのですね。でも「MACHAKOの写真は見せたことないよ。どこで間違ってるんだろうね?どこで見たって言うんだろうね?」ということでした。結局なんでその人が私を知ってたのかは謎でしたけど、(今でも謎)
 でもひそかに「来年からキューバに住むんだって言うことだし。。。これはもしかしたらこの人は私のキューバでの問題にも相談にのってくれるかもしれない!」って思いました。
 そして他のダンスクラスなどでもなぜかばったりあうこともあって、じゃあ今度、みんなで踊りに行きましょうかってことになり最初の印象は最悪だったものの、だんだんと仲良くなっていったのです。
 キューバに3ヶ月は住みたいのだ、ということをいうと、先にキューバに入る予定のその人が色々情報をくれることになり、私にとっては願ってもない安心できるキューバ生活の先輩となる人物を確保したという感じです。  (ふふふ)ずうっとサラリーマンをやっていてそれをやめてキューバに住む覚悟を決めているんですからこれはきっとたよれるな!って思いました。
 (その人からいわせれば私のほうが、「今までに見たことのないようなたくましい女だ、これはたよれるな。」だったらしいのですが。)
 実は最初にその人と踊った感想は「わけわからんリードだな。」ってことです。一体何スタイルだかわからん。。。。
 どうもキューバンもNYもLAもタンゴなどもやってた踊りだったようで本当にすべてがミックスされてて、一言「日本人っぽくない」って印象。これがキューバに長く住んだら一体どう変わるのかは楽しみだと思いました。なにかもう凝り固まっているようなダンスよりもずうっと柔軟に思いました。 それに思ったのはディレケノーで女性をぱしっと抱えるところが安心できるの。この感覚をつかんでる男性になかなか日本で会ったことがなかった私にとっては「こりゃすげー!」という感じでした。

 そしてキューバいって7ヶ月?だか相当住んで彼は、本当に「キューバンサルサ!」って感じになりました。けれど帰ってきてからまた以前のわけわからない感じのワザの連投がうまく混じり?!ますます日本人離れしていくその踊りには先が読めないリードと、独特のリズム感があって本当に面白いサルセーロです。なかなかこういう踊りのできる日本人にお目にかかれないですからね、、、(キューバでもかも。。。)

 その先、私が2年間で計4ヶ月にわたってキューバで男性リード、ルエダ、ルンバの修行を毎日積み上げてきた裏側にはその間、その人が毎日私の男役の向上のために「女役」をやってくれていたり、ちがう先生から習った技やリードを教えてくれたという事実があります。本当に毎日一緒に汗と涙でびっちょり?!の練習をしました。どちらかというとルンバが得意な私がルンバを見てあげて、サルサが得意なその人が私に男役をおしえていたということが多かったかもしれません。
 「もうレッスンに行きたくないよ-!」っていうのを私が「そんなんでどうする!できるようになってセルヒオ(超厳しい男の先生。)をびっくりさせてやるんだよ!」ってはっぱかけたこともあった。逆に私が「もうこんな難しいムーブメントできない!!」って泣きが入るのを「地道にやればできるよ」とはっぱかけるのでなく、励まされたこともありました。お互いにお互いが踊れるようになるまで絶対にあきらめさせなかったんですね。
 時にはサルサについてワザについて女役についてリードについて激論につぐ激論を交わしながらも(お互い習った先生が微妙に違うのです)、お互いのワザを磨きあった相手がこの「日本人離れした男」HIDEさんなのです。

 いまでもたまに2人でレッスンをすると、お互いのサルサ論がぶつかりあうこともしばしばですがどうやらそれが生徒さんの中では名物になっているらしい!?
 最近では、ようやくちょっと大人になりお互いの意見が聞き合えるようになってきたように?MACHAKOは思うのですが・・・どうでしょう?
 これからも日本人離れした男!HIDEさん、私をどうぞよろしくね。

 PS、いつかキャバレーダンスの舞台にたってください。その日本人離れしたムーブメントはサルサだけじゃもったいないですよーーー。(と、みんなも言ってますので書いときます!)

 

 


その2) 寡黙な女子専門学校生

 

 音楽専門学校でビギナーにダンスを教えつづけていく中で、ラボニータを結成し、徐々に「私がサルサをやっている」ことが生徒にもわかってきた頃に、「寡黙な女子学生」は入学してきました。

 とにかく2年間とおしてダンスの授業を一日もやすまなかったのがこの生徒です。なんせ真面目で熱心なのでダンスはメキメキ上達していくのです。特にヒップホップのリズム感がよくて、表現力もその生徒たちのなかではずば抜けていました。
 がしかしなんせ「寡黙」
 なんで、授業中ちっともしゃべらないの。
 ただもくもくと踊りつづけているっていう印象でした。おとなしい女の子だなぁ。。って思っていました。

 その彼女が2年生のある日突然「先生、サルサのグループに入ってダンスをやりたい。舞台に出たい」って急に言っていたのでびっくりしました。
 「えええーー?この子が?」って正直思いました。
 けれども彼女はそこから一気に変貌を遂げだしていくのです。
 私のサルサのレッスンには火曜、金曜、土曜と通い、木曜は学校でビギナーズダンスをやるのですからもう殆ど私と同じくらいの1週間の量のダンスをこなすようにすぐになりました。
 またサルサを教えたときも男役をつかむのが早くて、女性の生徒から「ゴールデンエルボー」だ!といわれたりしてました。
 <注!ゴールデンエルボー>
 そんじょそこらの男よりも男らしくて確実なリードをする腕という意味らしいです。。。

 

 とにかく若いのにその才能はすごいってわけで、私は彼女に「私がいない間の代行を頼もう」と決意したわけです。
 しかし若干20歳の女の子にいきなり代行も大変だろうなとも思い、なんとか自信をつけさせたいと思って、レッスンに通ってもらっては、色々なことを教えていきました。キューバ人のレッスンを見学させたり、六本木にも連れて行ったり、と、まぁ保護者みたいに色々なサルサの世界を見せていったわけですが。。
 彼女には火曜のダンス学院、そしてその前にやっていた70歳のご夫婦の個人レッスン、ジュニアのダンス、専門学校の授業、などなど殆どの踊り関係の仕事を代行してもらうことになり私は安心して、キューバに翌年行くことができたのです。

 で、もうおわかりかと思いますがこれが今現在の「SIORIN先生」なのです。
 最初はなんて寡黙な女の子なんだ。と思ったけど最近じゃ、エロ話?!にも精通していることが判明!?。そして無類のホラー映画好きだったり(一人で呪怨とか見てるらしい)、噂では家では「DAPAMP」を踊っているという情報までも、、、、、←「これは違います!(BY しおりん)」
 とにかくおとなしそうに見えて、すごい奴だったということがわかってきたのです。
 彼女ももうすでに2度のキューバでの修行を経験し、サルサのみならずルンバも習得しました。
 数あるダンスの種類の中で、まだ若いのに「キューバダンス」をなぜ選ぶのか?みなさんも不思議だと思います。
 私も聞いたことがあります。本当はヒップホップとかのほうがやりたいんじゃないのかな?とかね。でも彼女は自信をもって「サルサが好きだ」というのですよ。(今はワワンコが相当好きらしい)「それもキューバンサルサがすきなんだ」って自信持って言っちゃうんですね。なんだかかっこいいと思います。
 まだまだ若くこれからの彼女ですがキューバに一緒に行くと同じ年くらいに見えるらしくよく「双子?」とかいわれます。
 わたしよりも落ち着いて見える部分があるのかもしれません。今でも私がたよってばかりで申し訳ないんですが、これから横浜をひっぱっていく若い力になることは間違い無いでしょう!
 これからもSIORIN先生、こんな私をよろしく御願いします!

* MACHAKOとSIORINは2004年春、キューバ、ハバナにて数々のダンスショーに「DUO MACHAKO Y SIORIN」として初出演。ルンバ、ティンバ、サルサ、マンボなどMACHAKOの振り付けによるダンスでキューバ人観客の前で踊りました。そのときの熱狂ライブの様子は MACHAKO'DIARY (No.81~93) にてお読みください。

 

 


その3) 謎の新人サーファー

 

 冬のある日です。
 いつものレッスンに新しい男性がやってきました。
 最初見たときは正直にいうと「この人はもう相当踊れるんだろうな」という印象でした。そして日焼けした顔を見て「この人サーファーだな」とも思いました。
 けれどその印象とは逆に其の人は「何ヶ月かサルサやったけど本当にまだよくわかってないのでよろしく御願いします。」とやたら丁寧に挨拶するので、「そうなのかー?まさにばりばりに踊ってるように見えるけどなぁ」と思ってレッスンをしました。

 その日の帰り道です。私が1人で歩いていたら、その新人の男の人が、なんと私を「待ち伏せ」していたのです。さすがの私もギョっとしました。「なに?なんなの?この人?」って目であからさまに見てしまったと思います。
 するとその人はのっけから
 「ボクを育ててください!」っていうのですね。
 「はぁ??????」

 後にも先にも、「男を育てた」経験はないので、、、、というか「??なんで会っていきなり育てないといけないんだ?」という感じです。
 話を聞くとどうやらその人は今までサルサを習ってきたけどもう女性と踊るのが恐いんだっていうのですね。
 自信がないからもう踊っても楽しくないし。だけどこのままやめるのも悔しいし。。。ということで、友人の女性から私のレッスンを紹介してもらってやってきたそうなのです。(その友人さんはどういうことを言ったんだろうねー)
 でも「いきなり育てるってどういうことよ!?」って思うじゃないですか?

 うーーーんとうなってしまいました。ただ今までの男性と大きく違うのがこの人は「ダンス(ぺア)が簡単にできるとは思ってないんだな。そこは合格だなぁ。」ってこと。そして「一度つまづいたらしいけどそこから立ち上がって頑張ってみようと思ってる。えらいなぁ。」ってこと。だったんです。前エッセイにも書いた通りその頃私は、男性生徒に「熱さ」を求めていましたから、こういう生徒はまさにうってつけだったといえます。

 「なかなかこんな謙虚な人はいない。こういう人は伸びるかもしれないなぁ」と思いました。
 そしてその人は「個人レッスンしてください!」というので、そのころ他の男性も個人レッスンを抱えていた私は「時間があえば。。。ですね」というと、その人は「じゃあ今からボクの事務所でやれませんかね?毎週この火曜の夜できませんかね?」というのですね。
 「なんだか・・・真剣な人だなぁ。。。」と、かなりびっくりのMACHAKOです。
 先ほど書いたようにその頃は1日そのダンス教室で長い時間ダンスを教えていた私なので「ちょっと今日はもう疲れてますから。」って断りました。
そしてメールアドレスを交換してその日はようやく?!解放されたのでした。
 その夜だったかな。メールが届き、個人レッスンの日取りを改めて決めなおしたんですけど、その人がとにかく「踊れるようになりたい!!」「誰かに救って欲しい!!」っていうメッセージをばしばしと送っているのが伝わっただけに「なんとかしてあげないとな。」って思ったことは覚えています。

 それから、その人の個人レッスンをはじめたわけですが、正直な話そのころは、その人は癖が強くて、リードもきつくて、なんていうか女性を振り回して踊っているようだったんです。
 「こりゃいかん!!」と思い。私なりのキビシー矯正がはじまりました。けれど私はくせをとりながらも最後にこれだけは必ず言いました。
「この期間が終わったら自由に踊っていいし、私はその人にしか踊れないようなダンスを踊る男性を育ててみたいからあなたはそうなれるように頑張って!」ってね。

 あるとき、その人がとんでもないことを言いました。「今年キューバンサルサダンスコンテストに出たいんです。」って。私は正直「早まるなよ。。」と思いました。
 それをある男子生徒に言ったら「あの人ディレケノーもできてないじゃないか!」っいうのですね。確かに、、、、まだディレケノーもわけわかってなかったんです。でも、その人は、やる気だけはあるので「よし!目指しましょう!」としか私もいえないんです。そしてなんとか出れるように、コンテストを目標に成長してもらおう!って決めました。
 あるとき、男女が順番にエンチューフラしながら廻る技を教えてた時です。その人が手をおかしな位置にもっていってたんで「なんかそういうところにある手ってマヌケじゃないですか?」って冗談で言ったんですよ。
 そのレッスンにアシスタントしてた女性も「ほんとだー!それはマヌケだよーぉ!」と冗談で笑ってたんだけど、実はこれが本人を相当傷つけたようで、毎回レッスンのあとにくるメールに「今日はこうこうこうでした。。。MANUKEより」って書いてあったので、さすがに私も「やばい!!」と思い、「あれは冗談ですよぉー!」と言ったのですが、時既に遅し「自分よりも年下の女性からマヌケっていわれたのは初めてです。」といわれてしまいました。

 あーーやってしまった。。。私も結構辛口なので、実はこの個人レッスンをしながら男性生徒への言葉がけを学んでいったのかもしれません。(まぬけっていうのは本当に冗談で言っただけなんですけどね。)

 けれどその人は本当に頑張った。レッスンの他にも自分の仕事場で毎日CD1枚全部ベーシックを踊りつづけたり、コンテストに出るために相当な努力を1年で重ねました。さながらサルサを始めて1年目のMACHAKOのような感じです。やればできる!熱意があればやれる!を実証したのではないでしょうか?リードは優しくなりましたし、自分で言ったようにコンテストに出場を果たしましたし(しかも相手は私と共にマヌケ発言をしてしまった女性生徒)、それ以後「絶対やるんだ!」っていってたイベントもたちあげてしまいました。すごい、の一言です。

 そして、その人は自分にしか踊れないサルサを見い出していきました。
 これは間違いなく男性では私の一番弟子にあたる生徒のお話です。彼は今ではDJに、イントラに成長した「横浜のアニキ」となったのです!

 しかし、これが最初のANIQUIの実体だったと今では誰が信じるんでしょうね?
 これからもこんなドジで、どこでも寝てしまう、靴も右左間違えてはいてしまうような私をよろしく御願いしますね!



 さて、以上この3人無くして今のMACHAKOは存在しないのですよ。「それがなぜなのか?」気になるでしょ?(現在もこの3人には大変お世話になりながら日々レッスンを行っています。)さぁ、それがなぜなのか!!じゃじゃじゃーーん!!! それは怒涛のエッセイPART?で明らかにして行きますよ。(←いつなんだ!)おたのしみに!!

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