第3章 初めてダンスを習い始める


その1) ドキドキの初レッスン!

 

 ダンスを習おうと決めたあと、さぁ一体何のダンスをいつどこで習おうかと考えました。
 幼稚園は激務でして、毎日朝5時半には起きての出勤、夜は11時には寝ないと体力が持たなかったので、平日は無理だろうと思い、また日曜日は「ゆっくり寝る日」と決めていたので、土曜日に習いにいこうと決めました。
 この頃は「週休2日制」なんて幼稚園には無かったので、土曜も幼稚園があり、午後2 時頃に幼稚園を出て、一度家に帰ってから習いに行くためには、土曜の夕方だなと思いました。

 なにげなく新聞を見ていたら、カルチャーセンターの冊子がはさまれていて、そこが家からも近く、土曜に時間がぴったりのクラスを見つけました。
 ダンスの種類は「ニュージャックスイング」
 一体これって何だろう?って思ったけど、なにやら「今一番新しいダンス!!」なんて書いてあり、そういうのに弱い私は「そっかー今一番新しいんじゃ、きっとやる人も初めての人ばかりだろうし、今から始めてもびりにはならないだろう」なんて考えて、そこに申し込みました。前のエッセイを読んでる人はわかってると思いますが、私はバレエとかには興味なかったので、ちょうどこういうダンスが流行りだしててラッキーだったと思います。 深夜番組で、恵とRIKACOがダンス番組をやりはじめたころだったんです。

 そして、初めて教室に入ったとき、あまりの人数の多さにびっくりしました。 45人くらいはいたんじゃないかな。。。
 先生は、男性2人で、1人は「長○先生」もう一人はマイケルジャクソン似の色の黒い先生でした。
 あれ??この人どこかで見たことあるな・・・・・って思ったんですがすぐにはわかりませんでした。
 後で気がついたんだけど、のちにZ00っていうグループが有名になるんだけど、そのチームのリーダーのT○COさんだったのですね。(あーーーびっくりでした)その深夜番組で見て覚えてたんですね。。。
 生徒さんは殆どが女性で、しかも先生たちにラブラブ光線を送ってる人もいっぱいいて・・・・・「なんか、、、もしかして場違いなところにきちゃったのかな・・・」と不安になりました。
 このクラスはストレッチの時間が短くて、その代わり、リズムを取る練習とボディムーブメントの時間が長かったです。とにかく、ヒップホップの基本の「アップ」と「ダウン」のリズムを叩き込まれ、身体の部分部分を別々に動かせるという事を知りました。
 長○先生は、すごく基本に忠実で、何度も何度も同じことを繰り返して教えるタイプで、初めてのわたしにとっては、すごくわかりやすかったんです。アップとダウンは、しばらく通うと、すっかり身体に染み込んでいました。
 リズムも、肩、胸、腕、手、足、頭、などなどどこででも取れるようにという練習をするうちに、音楽がその身体のどこの部分でも感じられるようになっていきました。 T○CO先生は、どっちかというと感覚で教えてる感じでした。あまり厳しくなくて、ちょっと笑わせてくれるところがあって、2人の先生はいいコンビでしたね。
 でも、そのうちZ00の活動が盛んになってしまって、教室をやめていきました。
 長○先生の基本を大切に!はとてもために成ったのだけど。。でもねー「ランニングマン」っていうステップがあるんだけど、(知ってますか?その場でアップ、もしくはダウンを取りながら足を入れ替えながら走るような激しいステップなんです。ジャネットジャクソンのビデオなんかでよく出てます)
 これを20分ぶっとおしやらされたときは、さすがの私もへたりました・・・「もういいよーもうできるよー」なんてこころで叫んでた(笑)。
でもそれくらい、先生は基本を大事に教えてくれてたと思いますね。

 振り付けが毎回少しずつ進んでいくのですが、それが楽しくてたまらず、家に帰っても、毎日私は練習してました。
 当時2階に私の部屋があったのですが、畳の上でバタバタやったり、くるくると回転するので、1階のお店(当時実家はお店をやってました)にも響きまくってたみたいで、よく「何やってるんだ!!」と怒られましたけど、ダンスを習い始めたことは、家の人も知ってたので、何か始めるととことんのめりこむ私なので、ほっとかれるようになっていきました。しかし畳は、見事にぼろぼろになっていきましたけどね。。
 しばらくすると、振り付けも覚えるのが早くなっていくし、新しい生徒さんからレッスン中に「教えてほしい」っていわれるようになっていきました。でもね。私としては「先生にじかに聞いたほうが好いんじゃない?」という気持ちがあったんですね。
 自分の動きがすべて正しいと思えなかったし。
 ところが先生は「教えてあげて、そうすると自分もうまくなるよ」って言ったんです。
 「教えると自分もうまくなる??」
 そこで、空いてる時間とか、早くに教室に来て、ちょこっとずつ新しいメンバーに教えたりしていると、確かに、自分のまだまだなところがわかるし、またきっと聞かれると思うとレッスンしててもすごく集中できるようになるんです。
 この週1回のレッスンは、とにかく楽しくて、「これがあるから1週間の仕事も頑張れる」って思うようになっていきました。それと同時に、週に1回ではなんだか物足りなくなっていく自分もいました。
 けれど、この講座は週に1回だし、、、、、、、

 そんなときに、同じクラスで私と同じく保育の仕事をしている女性(この人が一番上手でした)が「ジャズもやったほうがいいよ。このダンスだけやってると身体が堅くなるから」って言うのですね。
 確かに、ストレッチの時間が短かいので、もともと体の堅い私は、それがラッキーでもあったのだけど、このままじゃ、身体が堅いままだな。と気づき、同じ土曜のこのクラスのあとで受けることのできるジャズダンスレッスンに通うことにしたのです。

 

 


その2)初めてのジャズクラスにひたすらびびる。。。

 

 土曜日の7時くらいから、同じ駅でジャズダンスが習えるところを探して、見つけたのが「フリー会員」制がお得なスタジオでした。15000円払うと、一ヶ月何回レッスンを受けてもいいというのです。
 しかもこのスタジオは月曜から日曜まで、休みなく色々なレッスンが受けられて、好きな時間にこれるのはとてもいいと思いました。
 すごくお得だし、魅力を感じたけど、なにせ週に1度レッスンを受けるので其の頃は精一杯だったのですが、ここで私は「いや、土曜だけじゃなく、平日も習いにくればいいんだ」と思い、フリー会員で申し込んでしまったのです。
 とりあえず、じゃあ来週のニューダンスのあとに、ここでジャズの初級を受けようと思いました。

 このジャズダンス初レッスンは衝撃でした。
 それまでニューダンスでは最初から、底の厚いスニーカーをはいて、ダンス始めるんですけど。
 ジャズダンスの靴って全然違うんですね。
 今ではジャズスニーカーなんて便利な靴が出てきてますけど、この頃は、ジャズシューズは皮で出来たぺたんこの靴だったんですよ。私は持ってないから、しょうがないんで靴下で参加することにしました。

 先生は背の高い黒人の先生で、「ワーーーン、トゥーーーーウウ、」ってあたりまえだけど英語でレッスンするんです。
 後で気がついたんですけど、このクラスはそのジャズシューズを最初のストレッチから履いてレッスンをするクラスだったけど、普通は最初ははだし(か、靴下)で、ストレッチするものだったんですね。
 とにかく、其のストレッチも長くって身体をとにかく伸ばして伸ばしてーーーって感じなので、それまでのニューダンスとの違いに、面食らっていました。そのうち、先生が「るるべ!」って言ったんです。

 「るるべ??」
 と思ったときにはみんなが足のかかとを上げて背伸びを始めていたので、「るるべって、、、こういうことか」と思って真似したんだけど、なにせふらふらしちゃって、其の姿勢が保てないんです。
 でもみんなはその「るるべ」姿勢のままで、両手を上げて、今度は膝を曲げたり、片足を上げたりしてるんです。
 そこでさすがにのんきな私も気がつきました。
 「これってこれって・・・・バレエじゃん!!!!!!!」
 「ルルベ」「プリエ」「アチチュード」・・・・・・
 どれもこれも小さい頃に、好きじゃなかったバレエ漫画で出てきてた言葉だったんです。。。

 「あちゃーーーーー!!!」気づくのが遅いけど、ジャズダンスって基本はバレエだったんですね。
 こんなことはじめから知っとけよーーーって自分に突っ込みいれながら、 「ここで逃げるわけには行かない」って思ってひたすらみんなについていこうと思いました。
 そのうち更なる衝撃が・・・・・・・・・
 先生が「ぴるえ」って言ったんです。
 はてさて「ぴるえ」ってなんだろう?と思ったら。みんながかかとを上げて、くるくるっと回りだしたんです。(ピルエットのこと)
 それも2回転とか普通にやるから、「えええーーーーーーーこ・・こんなのできないよ!」って感じでした。
 ニューダンスではかかとをつけたまますばやくまわるんだけど、この回転は違う!!
 ふらふらしながら、1回転くらいは回った後で、、、、 其のうち今度は部屋の片方にみんなが集まって、部屋を長く使って、その床を色々なステップを踏みながら移動始めました。
 もうわけわからん。殆どお笑いのノリで、ステップをみようみまねでやりながら(たぶん欽ちゃんみたいだったと思う・・・)そのクロスフロアっていうレッスン内容が終わりました。

 その頃はもう私は精神的にいっぱいいっぱいで、「早く帰りたい」って感じだったんですが、ようやくそこで、振り付けのレッスンが始まったんです。
 「やったー振り付けだったら少しはきっとできるぞ」って思ったのもつかの間でした。
 先生がまず見本を見せるんですけど、どのポーズも見たことも聞いたことも無い形なんです!!!
 それに加えてですよ。途中なんと「側転」がはいる振りなんですーーーー!
 エッセイ第1章にあるとおり、私は、マット運動ができないんですよ。後転が出来ないのに側転なんてとんでもない技なわけです。。。。
 私の中で「ジャズダンスなんてできない。普通に側転とか見たこと無いポーズとか、るるべとかぴるえとか、、、、わけわかんない!!!!」という気持ちが出てきました。
 みんなは普通の顔してレッスンして、振り付けやって・・・・この人たちはなんてすごいんだ。って思いました。もうほんと首をたれて帰ろうと思ってスタジオを出たら、さっきまで一緒のレッスンを受けていた人が目の前を歩いてたので、私は思い切って声をかけました。
 「すみません、初めてジャズダンスのクラスを受けたんですけど、、、 ジャズダンスって側転とか普通に振り付けにはいったりしてすごいですね・・・・」って言いました。
 するとその人は、ちょっと笑ってこういったんです。「あの先生の振り付けは普通じゃないのよ」
 「はぁ??」
 聞くところによると、その黒人の先生はいつも振り付けをその場で考えてやっていて、いままでも「カニのように動け」とか「蛇になって這え」とか「インベーダーになって」とか分けわからない振りばかりだったらしいのです。
 側転も「突然やれっていうからびっくりしたわよ」と其の人もいうんです。
 なんだよーーーー!!よかった、側転は普通に入るわけじゃないんだ。。。。。とにかくほっとしたことを覚えてますね。

 それから、其のダンススタジオには色々なタイプのジャズダンスの先生がいて、みんなダンススタイルが違うということ、初級とかいてあっても難しいクラスもあるということ、などを聞きました。
 つまり、わたしにとって初めてのジャズレッスンは特に変わった振り付けをする黒人の先生だったってことなんですね。
 しかしこの経験はとても大切なんです。実はこの私今色々な振り付けをしているけど殆どその場で考えているんです。(笑)いいかげんなわけではなくて、そこにいる生徒さんの動きや其のときの感じで浮かぶものを振り付けにしているところがあるんですね。
 時々「ええーーーこんなことするんですか?」とかいわれるけど、これって自分があの時の側転でびびったのと同じだわって思ってひそかににやっとしたりしてます。(いじわるかなー)
 とにかく、其の日は大変だったんだけど、それからわたしにとってその黒人の先生のレッスンは「何が飛び出すかわからないびっくり箱」のようで、毎回とても楽しみになりました。

 あとで色々な先生を習って知ったんですけど、バレエが基本でありながら、その黒人先生の振りは、果てしなくバレエからかけ離れた部分がいっぱいあったし。
 とにかくその先生が、スタジオともめて辞めてしまうまで、とことん受けまくりました。
 今はどうしているのでしょうか?どこかでまた奇想天外な振り付けを教えているのかな??

 

 


その3)ピルエットにはまる。

 

 ジャズダンスは始めて3ヶ月くらいたつと、其の先生のレッスンの進め方や振り付けの感じをつかめてきて、レッスンには緊張しないで出れるようになりました。あんなにいやだった、「ルルベ」や「ピルエット」もかなり身についてきて、ピルエットに関しては結構得意になりました。 2回転は普通にまわれるようになっていたんです。
 まぁそれには裏での影練習があったからだと思いますけど。。。。

私はこれをやるって思っちゃうと、なにかしら空いている時間はピルエットに費やしてたんです。
 たとえば、幼稚園の教室を掃除してるときなんかは最高の場所なんです。広くてつるつるした床じゃないと、ピルエットは楽には回れないんで、幼稚園の教室は最高だったんですよ。
 机をどかして広いスペースを作った後で、目線を置く目印になる人形を窓辺において、首を切りながら2回転すると、本当に気持ちよくまわれるんです。これはもう日課になっていました。

 あるとき、いつものようにこの方法で2回転の練習をしていたとき、ドアのほうで「ひっひっひーーーー」って声がするんです。見てみると、後輩の先生が、床に転がって笑ってるんですよ。
 「ちょっとーーーなによ先生!!」って言ったら「こっちが言いたいですよ!!どうしてそんなにまわってるんですかぁ?」って大笑いするんです。。。
 私のしてることってそんなに笑えることなの???
 うーーむ。このときすでに私は相当のダンス馬鹿になってたんですね。(笑)

 この後、幼稚園内では「雅子先生はいつも教室で回っている」ってうわさ(本当だけど)を流されました。まったく。。。

 

 


その4)とうとうバレエも始める。

 

 しばらくジャズダンスをやってみて思ったのが、「どんなにピルエットが出来ても、やはりバレエがわからないと踊っててもポーズがきまらない」ということでした。
 でもね、、、やっぱりバレエは腰が引けました。。。。。ただこのスタジオにはもちろんバレエレッスンがあったんで、意を決して「受けてみよう」って思ったんです。。。。
 まず自分にとっての大きな壁がバレエで使われる曲でした。
 クラシックな感じの曲はわたしにとって「眠気」を誘う何者でもないものなのです。そんな音楽を1時間半も聴きながら、踊るなんて苦痛だと思いました。
 そして案の定・・・・・・レッスンしながら寝てしまうことがあったんです。音楽に加えて先生がすごくやさしい声で説明するものだから、もうだめーって感じで。
 だからバレエの先生はけっこうきびきびした、はっきり説明する先生を選びました。なかなか足は上がらないけど、だんだんと背筋を伸ばして腕を上げたり、つま先を伸ばして足を出すことがきもちよく感じられるようになっていきました。
 身体の中になにか1本の筋が入ってくるような感じというのでしょうか?だんだん目のさめるレッスンに変わっていきました。(でも上記にある先生のレッスンは相変わらず眠くなっていたのででませんでしたが・・・)

 この頃になると私は、最初ダンスを土曜だけに習っていたのが、週3回から4回、しかも1日に2つのレッスン(たとえばバレエのあとにジャズダンス、ヒップホップのあとにジャズダンスなど)を受けるまでになってたんですね。
 だから幼稚園から帰るのは必然的に5時きっかりになってました。
 幼稚園って5時に一応終わるんだけど、実はそれから残業の山がまってるんです。明日の準備とか、日誌を書くとか、年長クラスなら其のクラスだけ3クラスあつまって会議とかね。
 でも私は、いつも年中担当だったので、この年中の先生はあまりうるさくなくやさしい先輩だったので、 5時までにしっかりとやることやってれば帰ることも許してくれてました。(主任の先生は困った人だと思ってたと思います。園長先生も)
 とはいえ、どんなに頑張っても仕事は残るんで、帰りの電車内で日誌を書いたり、はさみを使って造形の準備とかまでやっていました。小田急線に乗りながら雑務をこなすって感じ。。。。。。
 でもまぁ、そこまでしてまでレッスンを受けたかったんですよ。
 そして家に一度帰って、幼稚園の荷物をぽーーーんと置くと、朝準備してたダンスのレッスングッズの入ったかばんを持って「いってきまーす」って今度はレッスン場に向かうわけです。
 ごはんなんかも食べてる時間が無くって、行きのバス内でパンをかじってました。
 そして7時くらいからのレッスンを1つ、9時からのレッスンを1つって感じで、家に帰るのは10時半。それからお風呂に入って11時半には寝る。
 そんな生活を幼稚園のときは、やっていました。

 ダンスを始めるきっかけは、お遊戯会をもっと楽しくやるためだったんだけど、其の頃にはもう、そんなことは忘れてただ踊ることが楽しくてしょうがなくて、やめられないものになっていました。
 幼稚園ってとても小さい世界で、そこにいると先生たちと話すことって何組のなになにちゃんはこうだ。とかなになにちゃんのお母さんはうるさいとか。。。。。そんな話しかしないんです。
 これが休みの日に会ってもそんな話しかないんですね。
 たぶん、どの先生もそんな話しかしないのはいやだったと思うけど、そうならざるを得ないというか、、、、そんな世界なんです。。。
 だからダンスにいくと、普通の会社員の女性とか、他にも色々な人たちがいて、話がいろいろ出来て、それもとても楽しかったんです。
 とにかく、この頃の私は、ダンスが無くてはならないものになっていて、幼稚園とレッスン場が生活そのものだったんです。

 

 


その5)幼稚園かダンスかそれが問題だ。。。

 

 毎日毎日ダンスのことばかり考えているようになって、幼稚園のほうでは逆にいいことも起きてきました。
 今までは自分のクラスに対して「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」「きちんとしなきゃ」ってお遊戯会以外の部分では几帳面な私の性格!?が災いして、ちょっと神経質に成ってるところがあったんですけど、3年目になると余裕が出てきて、しかも幼稚園が終わればダンスがあるって気持ちもあるので、なんとなくクラスをまとめるコツもつかめてきました。
 じぶんに余裕があると不思議と生徒たちも、そうなるんですね。
 きりきりしてたから1年目はこどもにもそういうところが映ってたんだと思います。

 わたしにとっては2度目のお遊戯会も、大成功でした。
 踊る曲に(そのころはまだレコードだったんです)振り付けが付いていたんですけど、私はそれは見ませんでした。曲を聴いて自分なりの振り付けがどんどん浮かんでくるので、自分の振り付けで全てを作っていました。
 年長さんのベテランの先生に「年長が負けちゃったわ」とかいわれたりもしました。(もしかしていやみだったのカナァ)
 でもね、年中さんは3クラスあって、その3クラスが全く同じ出し物をするのですが、そうすると私のクラスだけ振り付けが違うっていうのがあって、それはちょっとまずいのかなとは思いましたけど、同じ年中の先生はあまり気にしてないみたいだったので助かりました。ありがとうーーー。

 お遊戯会が終わると卒園式、そして新しいクラス分け。
 私はまた年中の先生になったんです。
 ダンスはこの頃習って1年を過ぎていました。ダンスで知り合った、ファンクバンドをやっている女の子から、「バンドで一緒に踊ってくれないか?」っていわれて、一緒に舞台で踊ったり、その頃は結構ダンスも身についてきてて(なんせ1年の間相当レッスンしましたからね・・・・)、特にヒップホップとかファンク系は大好きなってたんで、自分としては「もっと色々舞台に立ちたいなぁ」と思い始めていました。
 そんな思いがだんだんと膨れ上がってきて、私の中で「このままこうやってレッスンしているだけじゃ、本当にうまくはなれない。レッスンしたってこんなに忙しい幼稚園をしながら舞台になんて出れない」っていう思いが出てきました。
 そのバンドやってる子も、昼間はバイトだったり、他にもダンスをどっぷりやってる子ってみんな大体バイトだったんですね。
 OLさんもたくさん習いにきてたけど、やっぱりダンスに対しての気持ちは、そういうバイトしながらダンスに熱中してる子とは違うのが見えてました。

 私はというと幼稚園の先生だけど、はっきりいうと幼稚園は会社と同じです。(ここの勘違いはまたリトミック編で、詳しく書かせてもらいます)
 わたしには正直、幼稚園にこうして勤めて初めていろいろ知ったのですが、「自分には向いてない」という気持ちが常にどこかにあったんです。
だからといって、バイト生活をしたいっていうのではなかったです。
 最初てこずっていた保育も、4年目になればコツもつかめて余裕が出てきて、楽しく保育できる部分も増えてきて、それなりに充実感はあったけど。
やっぱりもっとダンスをやりたい。っていう気持ちには勝てませんでした。
 この年、園長先生との来年度の話し合いのとき、私ははっきりいいました。「私はダンスでやっていきたいので、今年で幼稚園は辞めます」と。
そしたら答えは「そうですかーーわかりました。」
ってあっさり。。。。。他の先生はやめるっていっても殆ど引き止められるんですよ(笑)---。
 やっぱりわたしって幼稚園には向いてないって園長先生にもわかってたんだな。。。。

 その幼稚園ではリトミックもやっていて、月に一度、そのリトミック協会からの先生がきてどのクラスも見てまわるんだけど、その先生からは「やめないでほしい。あなたのクラスは本当にのびのびリトミックやってるし、年中にしては本当に上手なのに」って引き止められました。
 でも私は実を言うとそのリトミックはあまり好きじゃなかったんです。
理由は「厳しすぎて」。
 冬なのにはだしで冷たい床の上でリトミック。間違えたりうるさい子は円の外に出されてしまったりするのです。
 私はそういうきりきりした感じがなんか合わなかったので、せめて自分のクラス内で練習するときはのびのびやらせていただけでした。
 それを誉められてもなぁ・・・・・・
 あまり嬉しくなかったんです。つまりは、なんというか幼稚園でやっている内容というのか、その忙しさ、何かに追われているような子供たちの姿。先生の姿。なんかどれもがだんだんと自分には合わないと思い始めていたんですね。

 やめると決めてからはなんだかすっきりした気持ちでした。よし残りの数ヶ月を頑張って、やめたらダンスを思いっきりやろう!!って。やめてダンスをやって何になれるかなんてわからなかったけど、なんだか夢に向かって進めるんだってことで嬉しくてたまらなかったんです。
 だけど、数日たってなにやら私の噂が幼稚園内、バスの運転手さんなどに広まったんですけど、「先生は社交ダンスの先生になるって本当?」っていわれたのにはまいりましたね。(おいおい誰が言ったんだーーー!!)

 とにかく、無事に幼稚園を退職し、ダンスに明け暮れる日々が始まるとその時は信じてました。

 

 


その6)ひたすらダンス・・・のはずが。。。

 

 幼稚園を無事!?退職し、「よーし失業手当でももらいながらダンスに集中しよう」と思っていた私は、まず、今まで行っていたダンススタジオに毎日通うようになっていきました。
 なんと一月に55レッスン!とか受けてたんです。(これって計算すると1レッスン数百円なんですよ・・・・・)
 バレエ、モダンダンス、ジャズ、ファンクなども本当に飽きずに毎日毎日。。。でも最初に行った「ニューダンス」も続けていました。

 4月5月と幼稚園辞めて2ヶ月がたった頃、1つオーディションを受けることになったんです。
 ロック音楽を使うミュージカルで、ダンサー、役者を募集していました。 1次審査は書類で、これは合格したんです。
 2次審査は、ダンスと演技を見るというものでした。
 初めてのオーディションなので私は相当緊張するかと思いきや、ダンスの振り写しは、結構すぐ覚えられたし、踊るときも、殆ど間違えずにできたんですね。だけど台詞の審査はがちがちでちょっと失敗してしまいました。
 そのオーディションには、同じダンススタジオに通ってた子がいて、その彼女はすごくすんなりとなんでもやるので「さすがだなー」って思いました。。。けど、自分としては「初めての割には結構踊れた!」って思ってたんです。
 だから役者はだめでも、たぶんダンサーだったら大丈夫じゃないかって思ってました。

 しばらくして通知がきました。
 結果は落ちてたんですね。
 ちょっとショックでした。まぁ最初からうまくいくわけないかとも思ったけど、もう一人の同じスタジオの子は受かってたんですよね。。。。だから更に。。。
 この話には後日談がありまして、これから何年かの後で、違うオーデションで一緒だった子が、私のこと、その落ちたオーディションで見て覚えてたんです。(その彼女は受かってたんですけど)
 それでいわれました。「踊れてても雰囲気がロックじゃないのよあなたは」って。(笑)確かにそうだったのかも。基本がなってなかったんですね。。

 まぁそうやって最初のオーディションに落ちてちょっと落ち込んでたんだけど、それからなかなか立ち直れないのですよ。最初は落ちたことが原因だとしか思ってなかったんだけど、、、どうもそうじゃない。
 幼稚園辞めて2ヶ月、まだたったの2ヶ月だというのに、私はもう「働きたい病」にかかってて、しかも、あんなに毎日毎日「うるさーーーーーい!」って思っていた子供たちが懐かしくて懐かしくて、寂しくなってきちゃってたんですね。
 これには参りました。・・・・・だってまだ失業保険もらってないんです。
 でもやっぱり性格上「働いてない自分」がいやだったんですね、、、、

 その日から、とりあえず幼稚園よりは楽な仕事を探し始めたんです。
するとすぐに新聞の求人欄で、「幼児教室講師募集」っていうのを見つけて、私はすぐに面接に行きました。
 そして採用になったんです。この後の話はまたリトミックイントラ編で詳しく書くとして・・・・・・
 ハローワークには「もう仕事見つけたんで」って言って、結局失業保険は1円ももらえませんでした。
 その幼児教室では、人生の師匠と言うべき先生にも出会って、毎日充実した日々でした。仕事は1時間単位の授業数で時給が貰えるので、ダンスのレッスンにも充分時間とって通えるし、結構いい仕事でした。
 そこで仕事しながらダンスのレッスンを1年間続けたんです。

 でも、またそこで私は「このままでいいんだろうか?」って思うんですね。こんな都合のいいところで働いてレッスンして満足してるんじゃこんなんじゃ、だめだ。って。
 はっきりいうとこの1年間、ダンスもやったけど、それ以上に保育に関して、幼稚園以上に学ぶものが多くて、私はそっち(幼児教育)にも夢中になってたのですね。おかしなものですが・・・・
 ダンスは時々小さい舞台にでたりしてたけど、それだけじゃ物足りなかったし。かといって、そんなにオーディションってあるものでもないし。
 ダンスに関してこれからどうしてこう。と思い始めたんです。
 この頃になると、日本でダンスでやっていく(食べていく)ということがどれだけ大変で無理のあることか、が判ってきてたんです。わたしにはいやな言い方すると「どうしても自分が!」とか「人を押しのけて」とかそういうのは向いてないしできそうもないし、、、そして、レッスン内での先生との師弟関係とか、取り巻きの人たちとか、そういう感じのいやな世界が見えてきて、そういうのが根っからいやなわたしにはちょっとダンスのそういう部分には嫌気が差し始めてるのもありました。。。。
 「ダンスだけやってるんじゃだめだ。。何か私に他にできることは無いのかな」と思いました。

 そんな時、「ダンシングゼネレーション」をまた繰り返し読んでいて、、、「そうだ!!NYにまだ行ってない・・・・NYに行ってみよう」って突然思いつきました。
 幼児教室の先生たちは私が言っている間は私のクラスを見てあげると快く言ってくれました。
 お金は、一ヶ月いくには充分にありました。
 最初から1年とか、長期で行こうとは思わなかったです。まず、本場の世界を見てみたいという気持ちだけでした。
 私は2人の友人と一緒に部屋をシェアすることにしてとりあえず1ヶ月NYに行くことにしたのです。

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