子供にダンスを、専門学校のまったくダンスやったこと無い生徒たちにダンスを、そしてリトミックを教え初めて2年経った頃、朝目覚めたとき、ふと「1人暮らししよう」って、急に思い立ちました。
なぜかというとこの頃実家は建て直しのことが決まりかけてて、その建て直している間に住むところが私にはなかったんです。それだけじゃなくて、2年経ったら、結構教えだけの報酬でもなんとかやっていけるのではないかという自信がついてきていました。
あまり正直に言うと「ええーーーそんな給料で東京で1人暮らしなのぉーー?」といわれそうだから言わないどくけど。(知りたい人だけじきじきに聞いてねん)
自分的には「やってける」って思ったんです。
私はOLやったことがないし、幼稚園はかなりな薄給だったから、それに比べたら「今のほうがなんかお金あるな」って感覚でしかなかったんだけど。(感覚で決めるなー家賃は収入の30%までだぞー)
あとは「1人になったほうが絶対もっと頑張って仕事を取れる!」って思ったの。もしお金足りなかったら、何のバイトでもできるし。って。
あともっと重大なこと。私はそれまで日があたる部屋に住んだ経験が無くて。。。なんというか「朝、お日様があたる部屋にすみたい!!!」って思ったのです。
で、それから1週間後に(早ッ!)勝手に部屋を決めて、親に言いに言ったら、お父さんが一言「おまえ、武○士(消費者金融)の世話にだけはなるなよ。」といわれました。(笑/・・・安心してよー今まで一応一度もお世話になったことは無いから)
そして祖師ヶ谷大蔵の1Rに住み始めたんです。念願の2F南向きの部屋でした!
ここは本当にのんきな感じの場所でしたね。
まず春になると「うぐいす」の声で目覚められるんです(笑)!
あ、、、信じないって?本当なんですよ。
東京のど真ん中だけど「ほーほけキョ!」毎日きいてたもの。それに温泉もあったし、畑もあったし、公園もいっぱいあったし、なあんか自然が一杯の所でした。
休みの日はホントよく温泉行きました。温泉には殆ど毎日きているような、その温泉のドンみたいなおばさんがいて、結構怖いの!
洗い場とか、場所がきまってるのですよ。(笑)
サウナだって、色々とルールがきまってたりするの。サウナ内のTVのチャンネルを変えたら怒られました。(だっていつも笑点じゃやだよ)
でもでも、何度もいくうちに仲良くなってきちゃって(笑)。サウナの中で 氷もらったりしてました。あ、氷をどうするって?
サウナの中でたべるとおいしいんだよね。。
毎日結構この頃はのんびりしてましたね。
たぶん全然生活には困ってなかったんです。リトミックの生徒が結構いたんですよ。(もう7年も前の話、今は子供減りました・・・)
それに1人の時間があるって素敵でした。
私はさみしいとかそういうのはあまり思ったことが無くって、1人でも楽しんでしまうタイプなのかな。
何もかもが新鮮だし、何するにも楽しかったです。
それに!この頃はねー。ちゃあんとデートだってしてましたよ。(こいつ、ダンスしか興味ないなんてかわいそーって思われたくないですー!)
仕事も順調だし、毎年芝居やミュージカルにも出演できたし、なんだか幸せって感じで。(なんか、もしかして一番なにもかもいいときだったかも。)
ここまで、ずうーーーっと突っ走ってきてだけいたんだけど、なんとなく忙しくても、余裕もあった、そんな感じでした。
ダンスは続けて習っていましたけど、前のエッセイ4の終わりにあるように、ちょっと「自分にもっともっとのめりこめるダンス」が欲しいって思いながら、ジャズダンスを習いつづけていました。不満といえば、そのくらい。
まぁそれが一番大事なことではあるのだけど。(だってダンスエッセイだものね、これ)
さてっと。平和だったこの頃の話はこれでおしまいです。
だって、そんなときに現れた1本の映画が私の人生を平和じゃなく?怒涛の方向へと変えて行くのですから。。。
ある日恵比寿を歩いてたら映画がやってたんです。タイトルは「KYOKO」
高岡早紀の主演で、村上龍の作品の映画がやってるっていうのは知ってたんです。(私は実は相当映画ずきなんですよ。今も2週間に1本は映画見てますー映画好きな人今度お話しましょう!)
でもそれがどんな話でどこでやってるとかまで興味は無かったんですが、たまたま目に付いたので、上映時間を見たらちょうどいいんです。
「1人だし、ひまだし、ダンスも出てくるみたいだし、見てみよう」という感じで映画館に入りました。
それが、 なんだかガラガラで、(平日のせいもあるけど)「これ面白いのかな。。。。」と、かなり不安になってきました。
始まっても 実際最初のほうの内容は、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、(すみませーーん!)
あ、でも見たこと無い人いるかもしれないので、 ここにあらすじちょこっと書くとですね。
「トラックドライバーのキョウコっていう女の子の話、小さい頃日本でキョウコは米兵(キューバから亡命してアメリカ人になったホセ)にキューバダンスを習う。両親のいない彼女は、ダンスを踊ることでいやなことを忘れられ、大きくなったキョウコは、ダンスを教えてくれた米兵ホセに会いにNYにやってくる。
しかしやっとみつけたホセはダンスをやめており、末期のエイズ患者になっていた。キョウコはホセの母のいるマイアミまで自ら運転してホセを送り届けようとするのだが、エイズや日本人であることへの偏見などのトラブルに巻き込まれる。
やっとマイアミまで後一息のところで暴漢におそわれたキョウコを助け、ホセは息を引き取る。キョウコはホセを家族のもとまで運び、ホセの母親からキューバに行くことを勧められる。そしてキョウコはホセの生まれたキューバに旅立つ」
どうだろうこの短いあらすじでわかるかしら?内容はまぁこういう感じなんですね。
でもしばらく見ていくと、私はあるシーンで、目がくぎ付けになってしまうのです。
くぎ付けシーンは、3ヶ所ありました。
まずキョウコがNYの怪しげなバーで踊るソロダンスシーン。
2つ目はキューバに行ったキョウコが見た、老人のペアダンスのシーン。
3つ目が、ラストのシーンで、キューバのライブで観客(しかも子供)が踊りまくって腰をまわしまくっているシーン。
この3つとも、はっきりいうと今まで私はこの世で見たことの無いダンスだったんです。
「ななななななななんなんだ?????」という感じでした。
キョウコのソロは2箇所あって、1つがマンボだったんです。
こっちは正直いうとあまり・・・・ただ周りにいるアメリカ人(かなり老人)が楽しそうにキョウコのダンスをみている姿はほほえましいものでした。
でも、、、、、怪しげなバーでキョウコが踊ったダンスのほうは、、、、、、、なんか今にも倒れてしまいそうな危うさと力強さと美しさがあったんですね。で、本当に見たことが無い。。。。。。。
2つ目の老人のペアダンスシーン、、、、これもねぇ。途中でじいさんが仰向けにひっくり返るんですよ。
ペアスケートの「逆スパイラル」状態!(スケートではひっくり返るのは女性なんだけど)それで女性に手をひかれてぐるぐる廻るんです。
「だ、だいじょうぶなのかー!?」って見ながらハラハラしました。。。。でもね、その心配をよそに、じいさんは、ひょいって片足で絶妙なバランスを取って起き上がってくるわけです。
「・・・・・一体どういう腹筋力なんだ!?」
そしてその驚きもつかの間、怒涛のライブ映像・・・・・・・踊ってる踊ってるみんなが腰を回してる!!!
こ。。こどもが(どうみても3,4歳)こんなに腰まわしていいのかぁーーーーーーーー!!!!
心の中で叫びつかれてなんだかぐったり。。。。
見終わって外に出ても、キョウコとホセが2人で踊った「チャチャチャ」(このダンスはそんなにくぎ付けじゃなかったんだけど)の曲「エスペランサ」が頭に残ってて。
歩いてても「エスペランサーエスペランサーララララララチャチャチャ/・・・エスペランサーエスペランサー」って廻るし。。
これはもうやばい。って思いました。
そして私のとった行動はただ1つ!翌日もう一度其の映画を見るということでした。
「今度は目を凝らして、くぎ付けダンスをみてやる!」って気合充分だったですね。
そして2度目もまた、くぎ付けにされました。
帰りにパンフレットとエスペランサの入ってる、CDも買いました。(これで頭をぐるぐる廻らずにすむかもって思った。が、よけいにぐるぐるまわるはめになった。)
そして其の帰りに本屋さんで、KYOKOの単行本と、「キューバ情報」っていう本も買いました。
さぁここからが大変です。
キョウコの踊った踊りは、キューバのダンスで「ルンバコルンビア」というらしい。
キューバのダンスが日本で習える場所は少ししかないらしい。
キューバの老人が踊ったダンスは「ソン」というらしい。
ラストのシーンの音楽はサルサというものらしい。
キューバにはたくさんの種類の音楽ダンスがあって国民はみんなでそのダンスを踊っているらしい(これは微妙な思い込み)。
ということがわかりました。
この中で一番身近に感じたのは「サルサ」という言葉でした。なぜなら「オルケスタデラルス」はさすがに知ってたので。だけどデラルスはしってたけど、その音楽にダンスがあったなんて知らなかったんですよね。
なんか「やられたーーーーーー!!!」って思いました。
だって、私はラテンの音楽はかなり好きで、ジャズダンスでもたまにラテンの曲を使って振付けされるだけでノリノリになってたし、ラテンジャズダンスもNYで受けたし、ベサメムーチョだってカラオケで歌ってたけど。。。。←これは関係ないですかね。。。
「こんなのずるいよーーーサルサって踊りがあったなんて知らなかった!!!!」って感じ。
完全に「取り残された」気分です。
でもそれよりももっともっとショックだったのが、キョウコの踊った「ルンバコルンビア」というダンスの形、リズムです。
本当にこれこそ見たことのない動きとリズム。。。。NYで受けたアフリカンより滑らかで、でも力強くて。。。。。
こりゃまた・・・大変そうなダンスだと思いました。けど正直「かっこいい」って思ったんです。
どんなヒップホップよりもずうっとキマってる。。。。
そして、 なんかわけもわからず「悔しいーーーーーーぃぃぃ!(なんでだろ?)」って思ったんです。
この悔しさ。どうしたらいいのだろう。。。。。。。
考えても もうしょうがないので、何か知ることができるかもしれないと、キューバ情報に載ってるサルサ教室に行ってみるか。って思い立ちました。
(ソンとルンバコルンビアは教室なかったからね。でもこっちのダンスのほうが興味はあった。)
そう、 この出来事が、それからの私を変える大きな第一歩となっているのです。( でもこのときは、単にジャズダンスじゃないダンスを踊ってみたいという出来心だと私は思っていましたけれど。。。。。)
サルサダンス教室に行って思ったこと。それはただ1つ「こんなまったりしてていいのか?」っていうことです。
初日、レッスンの場所で私がTシャツと下は運動できるパンツに着替えて参加したら、アシスタントさんが「あなた。。。ずいぶん気合入ってるね」っていうのです。でも、 わたしにとってダンスレッスンというのは「汗を思い切りかくところ」っていうものだったのです。
キョウコ見て、「熱いダンス」だと思っていた私は、レッスンのあまりの汗かかなさに、「なんで?どうして?なんでみんな汗かかないのよーーー」って叫びたいくらいでした。
それにレッスン中に携帯電話が鳴ってしまい(私の)「やばいっ」って思ったのに「出ていいですよーー」って先生が言うの。。。。そんなの今までありえないーーーー。。
レッスンってちょっと目を離したら、遅れてしまうし、いつもいつも真剣勝負だった私にとってはそのまったりモードがたまらなく歯がゆいんです。。。
それに、 だってキョウコで見たダンスはこういうんじゃない、、、みんなもっと熱かったもの・・・・・・
(でも、そこはスタジオじゃなくて、お店の中だったから、確かにわざわざ着替えることみんなしないみたいでした。うーん信じられんな。。。。。)
そんなところから始まり、 なんだかギャップを感じるままに数ヶ月の月日がたちました。 わたしは相変わらず「キューバの熱さ」には出会えずにいました。
ペアダンスは初めてというのもあったけど、どうもしっくりこないんです。別に男性と踊るのが恥ずかしいとか手をつなぐのがいやだとかそういうのは無かったんですが、、、、、
「なんか違う、こういうことをしたいのじゃないのにな」って思うような歯がゆい感じ。。。。。
そこにある今までとの違いは、、、、「汗をかかない」ってことくらい。でもこれって、逆効果だよ・・・・・(ねぇ?)
だけどね、ここで使ってる音楽(キューバのサルサ)だけは、もう存分に私の心を揺さぶりかけてくるのですね。
「もっと踊れー踊れー踊れー!!!」って感じで。(踊れないんだけど)こんなことは生まれて2度目。(幼稚園時代の安佐土屋ユンタのショック以来)
それに私、ほんとにいまさらながらわかったんだけど、実は其の頃キューバンサルサならうまえから、キューバンサルサを聞いてたみたい。
どこでって?
それは下北沢のとある輸入食品やさんなんですけど、ここでいっつも「ロスバンバン」とかかかってたんだよね。後で知ったけど。其の店にはいるたんびに「かっこいい曲だな」って思ってた。(これホントなんですよ、この店藤沢にもあってこないだ入ったら今でもバンバン流れてた!)
そんなわけで急速にキューバのサルサ(音楽)が好きになっていくのに、なんだか自分の踊りたいというものが得られないもどかしさでどうしていいかわからなくなった私は決めました。
なにをって?
「もうキューバに行くしかない!!!」ってね。
さぁーーーこの辺でこのつたないエッセイを読んでいる皆さんはようやく私という人間がわかってきたのではなかろうかね?フフフ・・・・・
そうなんですよ。私って本当になんでもかんでも自分で勝手に決めてしまうの。ちゃっちゃっちゃーって。
だって、其の頃の私、正直に言いますと、スペイン語は話せない。サルサは踊れない。 もちろん海外旅行1人旅は初めて。キューバに知り合いなんていない。
もっと最悪なのは「サルサ3ヶ月やっても友達ができない」っていう状態。(これはたぶん私に気合が入りすぎて浮いていたから???わからない・・・)
普通そんなんで、キューバにいこうって思うのかな?どうなんでしょ?自分しか基準がないからわかりませんが、たぶん普通はね。友達とかといくとか、向こうに知り合いいるとか、サルサ(じゃなくてもいい)などの音楽に詳しい。とか、、、そういうのがあるんだと思うんですよね。
でも私は決めたんです。
「来年は1999年だし、20世紀の終わりにどかーーーんって何か1人で体験しなくっちゃねー」ってね。だから何も不安なかったんですよ。
それどころか「キョウコよりも何もつてがないのに行ってしまう私のほうがなんだかかっこいいかも!」くらい思ってたと思う。(そんなところで張り合ってどうするんだよ)
いやいや、それだけじゃないんです。。。。
告白しますとですね。実はこの頃大失恋をやらかしてましてですね。(笑えない)
その失恋に比べたら、見知らぬ土地に行くくらいなんてことないじゃん。って思ってました。
とにかくとにかく本物のダンスをこの目で見たらきっときっと更にくぎ付けに違いないし、私の求めているダンスがキューバに行けばあるかもしれないんだ!
って純粋に信じている私がいたのです。
本当にある意味純粋ある意味、バカ?
でもそれほどまでに、新しく自分を変えるダンスを求めていたのだと思います。初めてダンスをやろうと思ってから、長い間やらずにいた10代の頃の自分はもういない。
私は自分で生活してるし、彼氏もいないし(その時は)、自由なんだーーーーー!!(ちょっと負け惜しみ)ってね。
その4) キューバへ行くまでの色々。
さて、行こうと決めたら、また早い早い。
ア○ロスという旅行会社に早速電話して、「来年3月にキューバに行きたいです」って言いました。
14日間の日程で3月に行けば仕事にも影響がないとわかり(春休みなので学校、リトミックはお休み)着々と準備すすめました。
ただ、やっぱりなんにも知らないで行くのもなってことでクラスのキューバ行ったことあるっていう男性にちょっと聞いてみたんです。そしたら「ロンリープラネット」っていう旅行ガイド(すっごい厚いの。でも英語)を其の人がくれたんです。それと、「サロンロサード」「チャランガアバネラ」「UNEAC 」「カサデラムシカ」というキーワードをメモにかいてもらいました。
本当に、これだけですよ。(笑)わたしのキューバ情報源は。
今みたいにインターネットもまだそんなに普及してなかったし、調べる方法なかったです。
でも向こうでやりたいことは第一に「ダンスレッスン」だったので、ア○ロスさんに聞いたら、すごい安いパック料金を設定してくれたんです。
それはねー今じゃありえないと思うんだけど。
80ドルで、内容が1日3時間レッスン×3日間と、ホテル宿泊代込み!
めちゃめちゃ安くないですか?しかもレッスンは個人レッスンだっていうのです。
正直「こんなやすくていいんですか?」っていったら、ダンスのこと詳しくないみたいで「でもこれがセット料金なので」っていうし。
とりあえず申し込みました。むこういって先生探すのは時間の無駄だと思ったしね。あとは、バラデロっていう海の綺麗なリゾートに行ってみたかったので、そこはちょっと奮発して高いホテル。(1人でだけどさ・・・)
で、一番納得いかないのが、行き返りにメキシコのカンクンってところで1泊しないとならないんですが、そこの宿泊料金が高いの何の!!!!
「これなんとかならないんですか?わたしこんなところに泊まれないです」っていったら。。。。言ってみるもんだなー。
奥のほうから担当の人「この宿泊施設からじきじきにうちのほうに、ファックスきたんですけどね。。。。あげますよ」ってファックスをくれたんだけど、それが1泊8ドル!!
大丈夫カナァと思ったけど。電話してみたら(カンクンに)大丈夫そう だったのでそこに行きかえりは予約入れて。。。。
よおーーーーっし完璧だ!
あ、、、、スペイン語の勉強を忘れてた。ってことで。とりあえず辞書と会話本を2冊購入。
「ジョノテンゴディネロ(私はお金持ってないです)」と「テンゴアンブレ(おなかがすいた)」
だけは絶対に使うだろうと(何でそう思ったのか・・・・・・)覚えておきました。(のちに本当にこの2つは使いまくることになりますが・・・・・)
でもね、以前スペイン行きたいって思ってたことがあって、ちょっとスペイン語のラジオは聞いてたことがあったんです。(其のときから3,4、年まえくらいね)だから発音は何とかなりそうだと思いました。(楽観的だな)
キューバにいくことを全部決めてからまた両親に「キューバに行くんだ。」って言ったら、おもしろいの。
おじいちゃんは「だめだ!!!あんな社会主義の国にいかせない!」っていうし。おかあさんはただ一言「キューバってどこにあるの?」
これには一家みんなでだんまり・・・・・・・・・
しょうがないんで地図で教えたら「本当にずいぶんと遠いのね。。。。ちゃんと保険入りなさいよ。なんかあってもここまで行くのはおかあさんたち大変だわ。」っていわれました。(現実的な母親だ)
そんなこんなで、出発の日を待つのみになりました!!心はキューバ、毎日毎日「もうすぐだもうすぐだ」ってわくわく。
NYに初めて行ったときの感覚が蘇ってきました。
「きっと私の求めていたものが、キューバにはある!(無きゃ困る!!)」って期待でいっぱいでありました。