第7章 MACHAKO初めてキューバに行く!(後半戦)


その1)  初めてのサルサティカに裏切られる。

 

  さて、10時にホテルのロビーに下りていくと、アレクシーは、すでに待っていました。待ってるのはいいけど、、、、、ぎょえええーー!!!キメッキメのスーツ姿なんです。。。。。
  毎日レッスンでは、ぼろぼろのポロシャツだったから、私はびっくり。。
  キューバ人はおしゃれって聞いてたけど、そういうのとはちょっと違う。。。。。明らかに無理してしまった。という感じ。
  だって似合ってないんだもん。。。。
 聞くと「友達に借りたんだ。」とのこと。。。。納得。

 タクシーで「カサデラムシカミラマール」へ。私はアレクシーの分も払いました。この日は10ドルでした。
 10時半にはなっていたけど、人はまばらでした。
 アレクシーは「今日のバンドは最高にいいよー電話して聞いたから間違い無いよ!」といいます。もうーーーこの際は「テアモ事件」のことは忘れここは楽しんでしまおう!!いえーーい!ってことで、席に座ってちょっとビールをのんだあと、ライブ前のDJタイムですでにアレクシーと踊りまくりました。
 「お!今日やったステップだ!わかるわかる!!」
 レッスンの成果を感じられる!考えてみたら日本でサルサクラブに行ったことが無かった私。
 「私にとって初のサルサクラブはキューバだわー!」なんて感激してました。

 しばらくすると、キューバ人のカップルらしき人がやってきて、踊り始めました。その2人に私はなんとなく違和感を感じました。
 「2人とも決めすぎてる。。。。」
 格好といい、ダンスといい、化粧といい完璧なんだけど、、、、、なんか表情にヘンな感じがするんです。明らかに今まで見てきたキューバと異質な感じを私は受けました。なんと言えばいいのかはわからないんだけど。。
11時過ぎても人はまばらでした。
 そして最悪のアナウンスが流れたんです。
 「今日のバンドは来ません。」
 いや、実際はアレクシーにこのアナウンスを説明してもらったんだけど。。。。

 「なんだとおーーーー!!!!(怒り)」
 こないって?こないって??10ドルも払ったのに!何で?
 お金は返して欲しいからアレクシーに言ったけど「返せないみたいだよ」とのこと。(これってうそだったのかも・・・)。

 あまりのショックに言葉が出ません。。。。
 「裏切られた、、裏切られた、、、なんてバンドだか知らないけど、人が日本からわざわざきたんだぞおーー」っと怒っていたけど、しょうがないこないものはこない。
 アレクシーは「ディスコにでも行く?それとも違うサルサティカに行く?」というのですが、どうも私は、行く気がしない。ショックで頭がパニックしてました。
 それに、ここまでの1時間ちょいアレクシーといたのだけど、どうもダンス以外の部分で楽しめないの。どうもテアモ事件で意識するとかいうよりも、根本的に自分とはフィーリングがあわないんですね。
 だから疲れたのかも。。。とにかく「もう帰るよ、明日もレッスンだしさ」というようなことを言ったら、アレクシーが、こういうんです。
 「5ドルちょうだい。」
 はあ?????????????

 最初は、何でこの人お金を要求するの?と思いました。
 説明によれば「ここから、ハバナビエハまで歩いては帰れないし。」とのこと。たしかに。。。。。
 しかし私はハバナビエハからベダード地区まで、2ドルでこれるのをしってたから「おかしいよ、3,4ドルでいけるんじゃない?」と言ってみました。すると「今は夜だから高いんだ」というのです。
 それは確かにそうかもしれないけど、なんかあたりまえのように「5ドルちょうだい」はないんじゃない?と思いました。
 そんな私の横を、さっきカサデラムシカ内でキメキメファッション&ダンスで踊ってたカップル(キューバ人)が、自分たちの車で颯爽と帰っていくのが見えたんです。
 これだ・・・・・・・・
 私が異質だと感じたもの。それは、国民みんなか貧乏なはずの、キューバなのに、やたらとキメキメで、車で来れる身分のキューバ人だったからなんだ。。。。

 この日まで、キューバは貧乏だと思ってたけど、そうじゃない人も結構いるんだな。。。。と私は思いました。
 そしてアレクシー(彼は本当に貧乏だと思う・・・)には4ドルあげて明日のレッスンで会おうと約束して別れました。
 部屋に帰って私はなんだか寝られなくなりました。
 「キューバは複雑だ。。」

 今ごろになって、キューバという国の持つ裏側を感じ始めていたのです。

 

 


その2) MACHAKO、キューバ不信に陥る。そして立ち直る。

 

 さて、初めてのサルサティカが大失敗に終わり、普段だったらへこたれないMACHAKOも。だんだんと物事がうまくいかないことにいらいらし始めてきました。
 レッスンの終わったあと、元気だったり、レッスンが無かったときは、昼間のハバナを歩いたんですが、そのたびに、その時々にものすごい数の   キューバ人につかまるんですね。
 旧市街初日に、ヒネテーロっぽいクバーノにつかまって葉巻を売られそうになって以来、ものすごく神経質になっていたので、声をかけてくる人くる人がみんな悪い人なのでは?と思えてきました。

 ある日、ハバナ大学のそばを歩いてたら、1人の大学生が声をかけてきたのです。見るからに大学生っぽくて、その人が「大学内案内してあげるよ」というので、これはさすがに大丈夫だろうと、案内してもらい、そのあとチェゲバラの革命広場などにもちょっと遠いけど歩いていったりしました。
そして、らくだバスにも乗って、ベダードに帰ってくると、その人は言いました。
 「じゃあ案内したから10ドルちょうだい。」
 出た。。。。。。。。
 もうこのころはあきれてしまって、私も表情を作って、「なんでよ」って得意のボディランゲージで応戦はしたんだけど。
 その人が「じゃあ、5ドルでいいよ。」とか言うので、「なんでそんなに払わないといけないの?」と言ったら、今度は「うちにはお母さんが病気で、子供も2人おなかすかしてるんだ。だからお金が欲しい。」って。。。。見えすいたことを言うのです。
 それで、私はブチ切れました!
 「あなたに案内料として2ドルあげるけど、あなたの家族は関係ない!!」ということを辞書を引いて説明しました。
 すると今度は「わかったよじゃあ、君のこのGジャンをくれないか?」というのです。
 だめだ全然わかってない。。。。。
 私はだまって2ドルだけ渡して(確かに1杯くらいお酒おごってもいいと思ってたのです。。。。。。でもこんなやな感じになるとは)、帰りました。
 翌日、レッスンに行こうとホテルを出ると、なんとその男が待ち伏せしているのです。そして言うのです。
 「今日はこのGジャンくれるの?」
 なんだかもう悲しくなってきました。。。。
 その男は毎日ホテル前や、私がレッスンを終えて帰ってくる頃に待ち伏せするのです!!
 うーーーーん、しつこい!!!!
 でもめげないんだよね。どんなにこっちがやな顔をしても「このGジャンもらうためには毎日来るぞ」って感じでした。

 なんだか毎日が憂鬱になってくる私がいまして、どうもきょろきょろしたり、自分のほうが不審者みたい・・・・・・・
 その人だけじゃなくて、本当に、この頃日本人めずらしいのかなんだかしらないけど、本当にしつこい人がいっぱいだった。。。。。
 あたりまえだけど「おちん、おちん」って言われて付きまとわれたし。。。(おしんっていうNHKドラマの影響ね)
 うざい。。。。。。。。。。。。。
 もともと人とそんなに話さなくても1人暮らしもさみしくない私には、あまりにも毎日が、つらい。。。
 なにか怪しいと思ったら「ジョノテンゴディネロ(お金持ってないから!)」を連発しました。
 一度、レストランにいったんだけど、そこでもあとでぼられたのに気がついてしまって、悔しくて。
 「もうレストランなんかいかない!」ってかたくなになっちゃって。
 日本から持ってきた、カロリーメイトとか朝食のバイキングで、ちょっと頂いておいたパンとかを食べて、しのいでいたんです。。。
 つまりこの私が飢えていたのです。(信じられないって?ひどい・・・・)
 生まれて初めての経験に、どうも自分のほうもキューバ人のような気がしてきました。

 今はハバナに行けば、道端にピザが売ってたり、パン屋さんや、果てにはスーパーマーケットまであるんですけど。その頃はヘンなお菓子、とかヘンなスパゲッティナポリタンくらいしか露天店が無くて、ナポリタンは見た目からしてやばそうだから、(これ買った事ある人いるのかなーあったら味教えてよ)クッキーのほうを一杯買って、食べたりね。私も負けじと「ぼられてたまるか」って思いこんでしまって。
 とにかく肉なんて食べれることがないから、毎日パンとか、お菓子。

ある日、夕方のベダードの公園で1人スペイン語の勉強をして(この公園では誰も声をかけてこなかった、というか人がいなかった)帰ろうとおなかをすかして歩いていたんです。
 すると前方から、おじいさんが歩いてきたのですね。
 すると、すれ違いざまにおじいさんが「君、おなかすいてるのかい?」といったんです。
 私が日本で覚えた「テンゴアンブレ(おなかがすいてます)」を今こそ言うときだ! と思い.言おうとしたら「ジョノテンゴディネロ(私はお金持ってません)」のほうを言ってしまい。「まずい・・・・・・えーーっとテンゴアンブレ!」と言い直すとおじいさんはにっこりと笑って。「うちにおいでよご飯つくるから」というのですね。

 ここで私は考えました。
 ここから先のシュミレーションを一瞬でしたわけです。
1)おじいさんのヒネテーロで、やはり葉巻をうりつけようとする。
2)おじいさんのナンパ師で、部屋に行くなり豹変される。
3)おじいさんの料理の後に料金を請求される。
 どれなんだ、、、、、一体今度はどれなんだ。。。。。。。

 ところがです。
 おじいさんは、心配をよそにすっごくいい人だったんです。
 ここで私は「もう逃げないぞ!!何が出てこようが今度は信じてみるんだ.いい人かもしれない。」って自分の中の天使の言葉を信用したのです。
 おじいさんのうちはものすごく狭くって、しかも古くって汚かったです。しかし入るなりおじいさんが、まず私を座らせて、本当にジェントルマンに振舞い始めました。
 まずね、パンを切ってくれて出してくれてね。
 そのあと「君はワイン(ビノ)はすきかね?」と聞かれたので、正直に「Si」と言ったら「じゃあここで待っていて、戻るからね」といっておじいさんは、空のワインのボトルをもってどこかへいってしまいました。
 しかも帰ってこない。30分くらい私はその部屋に1人でした。
 「まさかここで葉巻売りが登場とかはありえないよな。。。」とまたマイナスな想像を始めました。
 ところが心配をよそにおじいさんはボトルをいっぱいにして帰ってきたんです。 どうやらわざわざ買いに行ったみたいなんです。
 そしてそれを私に注いでくれて、パンとワインで待っててくれといって、料理を始めたんですね。
 そのワインは不思議な色と味がしました。
 おじいさんの料理。それはひき肉のトマト煮って感じのものでした。あとサラダも作ってくれた。
 おそるおそる食べたら、それがめちゃめちゃおいしいの。
 「なんだよーーー(涙)。おいしい。。おいしい、、」
 なきそうでした.マジで。
 おじいさんは不思議そうにしてたけど、私がぺろっと食べてしまったのを喜んで、今度はトマトを切ってくれて、「全部食べなさいよ」って言うんです。もちろん全部食べました。

 そのあと辞書を使って2人で頑張って会話をしました。
 おじいさんは離婚してここに1人で住んでいるということ。
 息子がスペインに住んでいてお金を送ってくれるということ。(けれど決して裕福な感じはしない部屋でした。)
 おじいさんは会社員で毎日長い時間働いているということ。
 おじいさんが日本の映画が好きだということ。
 もうその頃は「このおじいさんは今まで会った誰とも違う」ということがわかっていました。
 夜9時頃になっておじいさんは「送ってあげるよ」といって私をホテルの前まで送ってくれました。
 そして「またご飯が食べたかったら会社に電話してきてね」と会社の電話番号を渡してきたので、そこで初めて「老いてもキューバ男」だということを感じて思わず笑ってしまったのですが。。。。。
 翌日も実はご飯食べに行ってしまいましたーーーーー(さすが・・・)。でもこのときはちゃあんと日本のお土産(ラーメンなど)を持っていってあげたんだよね。

 結局、バラデロに行くまでまでの2日間は私にとってすばらしい食事とやさしい素敵なキューバ人との時間が持てたんです。
 バラデロに向かうバスの中で、私は色々また考え始めてしまい、キューバ人のしたたかさや、やさしさについて思いをめぐらしていたのです。

 MUCHAS GRACIAS VIEJO ARUMAND!!

 

 


その3) キューバダンスレッスン最終日

 

 さて、三日目のダンスレッスンです。
 前日に、カサデラムシカのバンドこない事件のあとです。内容が前後してるけど、切り替えて読んでくださいね、よろしく!
 アレクシーの「テアモ!」のことなどすっかり忘れて、私は翌日も元気にレッスンにいきました。最終日なのでいままでやった数え切れないくらいのステップや、ペアの技などを1つ1つ丁寧に復習していきました。
 3日目になって、リーダーの女性イントラのすごさがますますわかってきました。いままで私がやってきたジャズダンスやヒップホップは先生が見本を見せて、ストレッチの後、振り付けで踊るようなダンスばかりだったけど、サルサって全く違うんだな。。こうやって個人レッスンを教えるってすごいことだと思ったのです。
 私はスペイン語がわからないから、その女の先生は、表情や、「エソエス!(そのとおり!)」で伝えるけど、それがタイミングがいいから、うまくこちらに伝わるんです。
 まぁこれは先生との相性もあるかもしれないけど、私には厳しいくらいの先生のほうがいいようです。
 やっぱ「やってやるーーーー!」って燃えられるからかな?

 とにかく3日習って私はその女先生のことをすっかり尊敬していました。
 キューバ人は明るくて開放的というイメージとはかけ離れていて、とてもシリアスだし、きつい表情の人なのだけど。「教育者」っていオーラがすごくって。。。。まじめそのもの。本当に「教えたい」って思ってくれているのが伝わるんです。
 教え方の「的の得方」に関しては文句言いようが無いんですよ。。
 実はカサデラムシカでも、アレクシーと話したのは殆どがこの女先生の話だったの。アレクシーもめちゃめちゃ尊敬してるのが話してて伝わってきたんです。
 「彼女はすごいよ。。。。。本当にすばらしい先生だと思う。(瞳きらきら)」って感じ。(わかる?)
 男性にこんなに信頼されて、親しまれるってなんだかすごいなって、感じました。

 3時間が終わって、わたしは「3日間ありがとうございました」といって、マニキュアのおみやげをあげました。(もう1人の女先生にも)
 先生たちはとても喜んでくれた。そして、リーダーの先生は、まじめな顔をして「よく音楽を聴いて踊るように!!」と言いました。(この先生が言うのは、リズムと、音楽のことが本当に多かった)
 アレクシーは前日よりもかなり私にボディタッチしたがるようになって、「まだこの人勘違ってる・・・・」と思いました。
 どうやら「今夜も一緒にどこかにいける」と思ってるような顔してるんです。(あーーーぁ)
 「 申し訳ないけど、アレクシーあなたには、私は合わなさすぎるのよ。。。。フィーリングが合わないの。。。」とは言わなかったけど、、、、
 最後にアレクシーに小さいおせんべいパックをあげて、私はUNEACから帰りました。

 私の心の中には「本当にすごい先生だった(女)。」ということばしかありません。
 かっこいいやら、教え方がうまいやら、充分満足できたんだし。まったくアクロス様様ですよ。80ドルで宿泊パックの9時間レッスンだもんなーーー。

 そんなことを考えながら私は思いました。「あんな人になりたいなぁーーー。」っと。
 出ちゃいましたね.私の思い込み発言。。。
 そうなんです、すばらしい指導法を見てみて、「女でもあれだけかっこいい男役ができる人」というのを見てみて、すっかり私には目標が出来てしまったんです。
 「あの人みたいになる!私も!!」
 つい1分前まで「なりたいなぁーー」だったのが「なる!!」だよ。(笑)
 でも本当にその先生のレッスンを取れてよかったと、今もう何度もキューバに行って色々な先生に出会っても私は思うのですよ。
 だから本物だったんだと思う。

 余談ですが・・・・・つい最近キューバ人と結婚してキューバに住んでいる知り合いの女性からキューバのTVを録画してもらったものがあって、そのダンスコンテストの審査委員長が、、なんと、、その先生だったのにはびっくり。。。
 どうやらすごい有名人だったらしい。。相変わらずとてもきれいでオーラに輝いてました。
 アレクシーは先生業がんばってるんだろうかなーー(テアモ言ってる場合じゃないんだよー。)

 と、ここで「キューバで、良いレッスンを体験でき上達する方法」てのをMACHAKOの独断ではありますが、書きたいと思います。今まで相当いろんな人に習っての、自分なりの意見として読んでね。

その1)常にやる気を見せること。

 生徒のやる気が先生には伝わるはずです。短い旅行でたった2日しかレッスンできなくっても。「やる気満々」って事を訴えたら、いい先生はそれだけのことを充分にやってくれますよ。だから前夜にライブで踊りまくって眠かろうと、暑くて疲れていようと、そんな表情してると見抜かれてしまいます。
 ちなみに私は、レッスンに行く前に必ずできるときは最低1時間は部屋で復習をしていき、時間の10分前には必ずスタンバり、昨日までのことは全部できてるんだぞー!ってことをレッスン前に踊ってアピールしたりもしていました。これが効果覿面!!
 やる気を見せることで「この生徒には教えてあげたい!!」って思わせてしまいましょう!!


その2)できないときにあきらめないこと。

 きっとぶつかるのが「どうやってもその日にできそうもない」事を教えられるということ。
 いとも簡単に、先生に見本を見せられても、どうやってるんだかまったくわからないことってありますよね。そこで落ち込んだ顔したり、もうできないよってあきらめをみせたらだめですーーー。だっていい先生は最後まで付き合ってくれるし、あきらめないんだから。
 それをバネに、家に帰って復習するんです。できなくってもやっていると、翌日にはちゃんと「練習してきた自分」がいます。そういうことを積み重ねていくことでできないこともできるようになるのだと思います。


その3)違いを柔軟に受け止めること。

 意外と多い悩みがこれかもしれません。
 日本で習ってきたこととなんだか違う。あの先生といってることが違う。などなど。みんな言うことが違うから、まじめな日本人の私たちは迷って悩んでしまうのかな。。。。。
 私は、その先生に習ってるときは、その先生の方法で踊る。ようにしていました。
 違う先生に違うこと言われたら柔軟にそれにも対応しました。(どうしても言っていることが納得できないときは、受けるのをやめましたけど。)
 でも色々な踊り方をやっていくうちに、自分にあった動きが見つかっていくこともあります。
 色々なことを言うけど、「そのときにその先生が求めていることを、やってみせる」という気持ちでやっていくと良いと思います。そういう中から自分に向いているものを選んでいくんだ!くらいの気持ちでね。


その4)とにかく実践あるのみ。

 レッスンでやったことはなるべく早いうちに、サルサライブやディスコや野外コンサートやフィエスタで、実践しましょう!これが何よりの上達の早道だとおもいます。おどらにゃ損損、です。

 と、まぁ簡単にまとめてしまいましたね。
 また機会があったらこんな感じでワンポイント(いろんな)もくっつけてのエッセイにしたいと思います。

 

 


その4) バラデロにて

 

 ハバナでの、色々なショックを受けたまま、バスに乗ってバラデロに行きました。バスの時間はいいかげんだと聞いてたのに、ホテルにバスはちゃんと時間通りにきました。
 4時間くらいかな…バスに揺られながら、今まで日本に住んで、普通に暮らしてきた自分が、なんとも「甘ちゃん」だったという現実に、キューバで初めて実感していました。
 キューバについて多少本を読んで勉強してきたけれど、本でよんだことなんて、全然、現物に比べたら、、、、、、百聞は一見にしかずというけれど、本当なんだな。。。。。。切実な生活ぶりや、若者たちの、たかりぶり、、、、、、日本には無い現実に私は打ちのめされていました。。。だってキューバ人で明るい人に会えてないもの。。。。みんなみんな目的もてずにいるようなんだもの。
 ぼーーーっとバスに乗りながら、日本人は何もしらない。。。。ひたすらにそんなことを考えつづけました。

 そしてついたホテルは、今まで私が生きてきて泊まったことに無い、すばらしいリゾートホテル・・・・・・・・
 ハバナのわびしい食生活とはうってかわってここでは、ブッフェなのです!(毎食)
 あまりの違いに最初はなんだか面食らいましたけど、、、、、どうやらわたしは相当におなかをすかせていたらしく、たらふく食べてしまいました。そして「おなか一杯食べるって、、、、すごい幸せだなぁ。。。。。」って、感じました。(でもそのブッフェにはすぐに飽きましたけど・・・)
そして海に行ってみると、そこは見たこともないどこまでも続く白浜、、、、、、、そして遠浅の綺麗な海!!!!
 ところがですよ。
 そんなに綺麗なのに、誰も泳いでいないんです。。。。
 そう、そこはリッチなヨーロッパ人が、バカンスにきて、パラソルの下で読書をするのがお似合いのビーチなんです。周りには優雅にそんなことしてる白人ばっかり。
 しかし私は1人でも泳ぎまくりました。

 えーーっと、エッセイ最初のほうに書いてるんですがね、私は運動音痴なんですけど、水泳だけは得意です。だから、ハバナでの疲れた頭を解きほどくべく、何時間も何時間も泳いでは休み、泳いでは休み。。。
 飽きもせずに続けていましたねぇ。(他にすることもないし)
 夜になるとホテル内を散歩して、庭掃除をしているおじいさんとお話しました。(なんだかおじいさんづいているキューバだなぁ)
 でもほんとキューバ人のおじいさんて素敵。本当よ!
 庭掃除のおじいさんは「見てごらんよ、きれいな空だろう?」って言いながら楽しそうに掃除してました。そして、庭にいるとかげをみつけたり、私にお花を摘んでくれました。
 癒されるーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
 3日間(長いよ!)のバラデロはそんな感じで何をするでもなく、過ぎましたね。

 でもね、ちょっとおかしいなと思うことがあったんですよ。
 ぎりぎりの時間にブッフェにいったらもう片付いていたり、一緒にディスコにいこうって言ってくれた従業員と待ち合わせたのにこなかったリ(まぁこれはキューバ人の約束だから?)。
 でもあまり気にならなかった。そのころには「まぁいいか」くらいの余裕が出てきてました。静かなベッドで泳ぎ疲れてねるのが幸せ。。。
 ハバナのうるささに比べて、ここはほっておいてくれるし。。。。たまに 「カナダに住んでる日本人かい?」って聞かれたけど、「日本から来た」って言うとみんなすごいびっくりしていたけど。。。。。。
 帰りのバスも時間通りに来たし、まぁひとときのバカンスと思って、癒されたという感じで、またハバナに帰ることになりました。

 「ああーー戻ってきたなぁ。。。。。」
 明日ハバナを発つので、今日が最後の夜。。。。。。。。
 「何をしようかな。」
 考えてみたら私は、毎日レッスンをしては疲れて寝てしまったり、サルサティカにいったらバンドがこなかったりして、はっきりいうと、レッスン以外全然踊ってないんです。(アレクシーとカサデラムシカで踊ったのと、初日の野外ライブだけ)
 ・・・・・ここで初めて気がついた。
 「何をしに高いお金払ってキューバに来たのかわからない、、、、、今までキューバに、キューバ人に振り回されすぎて自分の本当にしたいことを見失った…..私としたことが・・・・・・・」
 しかもしかもキューバでいわれたのが「なんで君は金土日で、バラデロにいくの?」
 つまり、良いバンドは週末にやるのだよ。と言われていたのです。。。。。。。。。。。。
 「ア○ロスーーー!!それくらいわかって日程を組んでよー!!!」
レッスンが良かったから、あんなに喜んでたくせに、その事実を知って今度は私は後悔しはじめました。

 最後の夜に泊まるホテル(あの村上龍さんご用達らしい)に荷物を置いて、私はキューバの旅行会社のドアをたたきました。そして日本語のわかる女性の社員に「今日どこに踊りに行けばいいですかね?」と唐突に聞きました。
 すると、その彼女がすごく情報に詳しくって、「そうねーー今日は、カフェカンタンテがいいわよ!」って言うのです。
 自信満々にそういうけど、ちゃんとバンドはくるのかが私は心配でならず、その「カフェヵンタンテ」に電話をかけて確認してもらいました。すると「ちゃんと来るから大丈夫!!」ということで、一安心。。。。。
 彼女が言うには「始まるのは12時から位だから、11時くらいにここをタクシーで出て、そして、ライブは2回あるけど1度目をみたら帰ってくること、その際迎えのタクシーも必要だから行きのタクシーに何時に迎えに来て欲しいと伝えておくように!!!」とのこと。
 私は「エンティエンド(わかった!)」といって、そのとおりにすることにしました。
 そして相当に自分なりにめかしこみ、最後の夜を楽しむぞ!!と気合を入れ始めました。
 ようやく気持ちが乗ってきたぞー!!

 

 


その5) カフェカンタンテ、念願のライブ体験

 

 タクシーの運ちゃんに「1時半に迎えに来てね」とちゃんと伝えて、私はカフェカンタンテに到着しました。

 いよいよ1人でキューバのサルサティカに入場です。そのカフェカンタンテは、なんだか場末のバーみたいな、赤い照明のあまり良い趣味とはいえない内装で、なんだか「ギラギラしてるうううーーー。」という印象。
 しかもすんごい寒い!!!冷やしすぎだよ。。。。。。。今までキューバで入った建物の中で一番寒いの。。。
 でも安心できたのが、人が結構いるんです!!!
 白人の旅行者も多いけど、キューバ人もかなりいます。しかもカサデラムシカでみたような完璧なカップルのような感じとは違うキューバ人。。。。
 「これは今日はちゃんとバンドは来そうだ。よかった。」
 ほっとして私は席に1人で座りました。
 そこで思いもかけないことが起きたのです。。。。。。

 しばらくすると、白人のおじさんが「この席はあいてるか?」って言うので「あいてるよ」というと、そこになぜか座るんですね。
 「このおっさんは1人できたわけ?」ってこっちは思ってたら、そのおっさんがなんて私に言ったと思います??
 「君キューバ人だよね?(にやにや)」

 みなさん、もう一度書くよ。そのおっさんは私に
 「君キューバ人だよね?(にやにや)」
といったのです。
 一体この私のどこを見て?どこがこの周りにいる細ーーーーいクバーナの要素があるんだよ?無くて困ってるくらいなのに・・・・おかしいんじゃないのか?
 思いっきり「わたしは日本人です!」といってやった。
 そのときおっさんマジでびっくりしてるんですよ。(笑)
 まったくびっくりするのはこっちだよ!!!!
 つまりですね。おっさんは私がいわゆる「ヒネテーラ」だと思ったのだと思うんですよ。これって、どう理解したらいいですか?

 誰かいます?キューバでクバーナ(しかもヒネテーラ)に間違えられた人。ううーーーーーっむ。。。。

 *ちなみにですね。このカフェカンタンテ、翌年4人(友人たち)と行った時も面白いことありました。
 ある、プエルトリコ人のおっさんが私に「写真とって良いかな?」というので「何で?」というと「ボクの妹にそっくりだから妹に君の写真を見せたいんだ。」って言うんですよ。
 これもなんなんでしょうねー。まぁこちらは笑えるから良いけどね。

 で、話戻すと、そのおっさんは日本人の子が1人でいるのにとても興味が湧いちゃったようでして、、、しばらく質問攻めに遭わされましたわーーー。
 ホールではずうっとサルサが流れてて、私は誰に誘われることもなくて、(踊れる自信もあまりないし)わたしはずうっとキューバ人の上手な踊りを見つづけていました。
 そのうちサルサが終わって今度は、アメリカのR&Bやらヒップホップが流れ始めたんですよ。
 するとそういうのもキューバ人は楽しそうに踊るんですね。そういうのを踊るキューバ人始めてみました。
 それを見てて、「これだったら私にも踊れるわ。」と思いました。それにあの人の中に行きたいなと思いました。
 「ここでこのおっさんと一緒にいるだけじゃ来た意味が無い」

 私はおっさんを席に残して、1人でフロアに出て行き、ヒップホップを踊り始めていました。こんなことはNYでもやったことないけど、こうなったら踊ってみるしかないし。。。1人でアップダウン取りはじめていましたね。。。
 するとですよ。
 今まで私が座ってたときは見向きもしなかったくせに、そこにいるキューバ人たちが、わいわいと私を囲むんです。で、1人の男の子がいいました。
「踊れるんじゃんーーーー」っと。
 どうやら、「あそこに座ってる日本人は踊るのか?どうなのか?」と仲間内で話し合ってたらしい。
 そのうち、いつのまにかバンドが準備を終えてスタンバっていました。 そしてその後は、すんごい音量で演奏が始まったのです。
 それからはもう、だれかれとなく、キューバ人とずうっと踊りつづけました。超笑顔で。。。。。
 あっという間に1時間のライブが終わったけど、全然疲れてない。(そりゃそうかも、3レッスン受けてたし体力はもともと有り・・・)
 た・・たのしい・・・
 神様たのしいよおーーーどうしてこうやって早くにここにこなかったんだろう。。。
 そして私の習慣の一言。
 「悔しいよぉぉーーーー!!!明日で終わりじゃん。(泣)」

 もう帰る時間がせまってきました。バンド演奏が終わっても、またサルサタイムになってそこでもずうっと踊りつづけてたけど、もうタクシーの迎えが来る時間だったんです。
 みんなに「わたし帰る、あした日本に帰るんだ」っていったら、そこにいた、男の子も女の子もみんな、さみしそうな顔してくれて、その中の1人は、タクシーまで送ってくれました。
 そして最後にお決まりの一言
 「1ドルちょうだい!(にっこり)」
 出たーーーーー!!!!!! ・・・・・・もう笑うしかなかった。
 タクシーが迎えにきてなくて(運ちゃんめー)、その人は、あやしげなタクシーを捕まえて、行きの半額で送ってくれるようにしてくれたんです。
(ということは、いいや、1ドル手数料で。って思いましたこのときは・・・)

 帰りのタクシーでさすがに踊りつかれた体が言ってましたね。
 「今日はいっぱい使ってくれてありがとう!!」って。

 

 


その6) そしてキューバ最後の日

 

 無事ホテルに着き、今日のすばらしいライブ体験を思い出しながら、荷物をまとめて、私は眠りにつきました。
 キューバの旅行会社の人には「12時にホテルを出れば空港に余裕で間に合うから」って言われていましたので、朝も余裕で、起きて、ホテル内を散歩したりしてのんびりしてました。

 さて、12時15分前になり、「そうだ、旅行会社の人に挨拶しに行こう!昨日ライブ情報も教えてもらったんだし」って思い、事務所に行きました。 私がドアを開けて入っていくと、昨日情報をくれた日本語堪能な彼女がちょうどいました。
 すると、目を真ん丸くして「まさこさん!どうしてここにきたの?」って言うので「御礼を言おうと思って」というと「そうじゃなくて!!!なんでまだここにいるの!!」って言うんです。
 「だって昨日12時にチェックアウトすれば良いって・・・・・」とここまで言って、事務所の時計をみて唖然としました。
 事務所の時計は1時15分前なんです。え???
 ・・・・・ なんで一時間違うの???
 そしで彼女が言ったのです。
 「ベラノオラ!(夏時間)」そして更に言ったのです。「ごめんなさい、ごめんなさい、夏時間のこと言うの忘れてたわー!!!!!」
 はぁ? なんじゃそれは、初耳だぞ。
 聞くとどうやら私がバラデロに行く日からが夏時間に変わっていた(1時間時計をすすめないとならない)らしいのです。
 ここでようやく全ての謎が理解できました。
1)バラデロ行きバスが時間ぴったりにきたこと。(実はバスは1時間遅れてきてた。これがキューバ時間)
2)バラデロのブッフェにぎりぎりに行ったらもう終わってたこと。(終わって一時間たってた)
3)バラデロで一緒にディスコに行く予定だったホテルの従業員がこなかったこと。(多分その人は1時間待ってた)
4)バラデロの帰りバスが時間どおりにきたこと。(これも1時間遅れてきてた)
5)ライブ帰りにタクシーが迎えにこなかったこと。(私が一時間長くカフェカンタンテにいた)


 どれもこれも1時間時間が間違っていた!!!!!!!
 ががーーーーーん。。。しかもバラデロにも、このホテルにも部屋に時計がないし(ないんだよーーー本当に、私は誰にも時間を聞くことをしなかったし、疑いもしなかったんです。。。。
 とにかく「早くタクシーに乗って!」とせかされて、私はタクシーに押し込まれたのです。
 「ちょっとー!なんで最後の日こんなに、あわてないとならないのー。」と思ったけど、空港についてからも大変でした。
 なんせ1時間遅く着いたわけだから、チェックインもちんたらされるといらいらするし。
 ようやく出国審査をして、搭乗口にいってゲートでまってても今度は飛行機がなかなかこないんです!!!(急いできた意味無かった)
 そしてようやく電光掲示板に、自分の乗る飛行機の番号が書かれたので、そこで待って、まだ搭乗時間まで15分あるからとトイレに行って帰ったら、、、今度は、その掲示板に、全く違うフライト番号が。。。。。。。行き先も違う。
 「どうなってんの===?」
 ホテルから慌てさせられたのですから、このあたりで私はパニくってしまってて、通常の精神じゃいられなくなってました。
 もしかして・・・・ 私がトイレに言ってる間に、飛んでしまったの?!
 まさかと思ったけど「MACHAKOキューバに残される」という エッセイの図が頭に浮かんできました。やばいよやばいよーまじでやばい。どうなったんだ!
 さっきまで周りにいた人たちもすっかりいなくなってます。「やっぱり、飛行機飛んじゃったんだ。。。。。」
 私は一巻の終わりを覚悟しました。
 すると、見知らぬおじさんが後ろから「トランキーラー(落ち着いてー)」と、にこにこしながらやってきたのです。そして、「あっちみてごらんよ」というのです。
 すると、さっきの掲示板にまた自分の乗る飛行機のフライト番号が出ています。
 なんで?!?
 どうやらさっきは間違えて違う番号に変えられてただけらしい。まったく・・・・・・・・・・・
 キューバ・・・・・ありえないことが起きまくりすぎる。
ようやく飛行機に乗れたときにやっと安心して「これで帰れるんだ。」って自覚できました。

 そんなこんなで、キューバを懐かしむ時間もなく追い出された?ような感じで帰国の途についたわけです。
 帰りの飛行機は時間が長く感じたけど、誰からも声をかけられないからそれが逆に新鮮でした。
 アメリカのヒューストンに泊まったら、そこのインド人従業員の奥さんがキューバ人って話になって、その男性はキューバに仕送りしてるって言っていました。(なぜかそこでもらったホテルのボールペンはいまでも使っている。)
 アメリカの出国審査で「キューバ行ったのか?ふんっ。」って言われました。そして日本に到着。

 家に着いて、久しぶりに家族に会いました。
 「キューバはどうだったの?楽しかったの?」と
 「キューバはどこにあるの?」と出発前にいってきた母が聞いてきたんだけど。私は「うん楽しかった。」・・・・・・・・・とは言えなかった。
 もう頭も身体もくたくたで、何も考えられないくらいに疲れ果ててたという感じ。緊張が解けて、それから2日間寝込んでしまいました。
 しかも、キューバのバラデロ行き帰りのバスの寒さと、カフェカンタンテの寒さと飛行機の寒さにやられて、おなかを壊してしまって、最悪。。。。。
 体が治って普通の精神になり、キューバで撮った写真をながめながらも 「キューバで私はたのしかったのだろうか?」と自分に問い掛けても「楽しかった」とは言えない正直者の自分がいます。
 ダンスを求めてキューバに行って、でも私はダンスよりも大ショッキングな現実を見てきたからなのでしょうか?
 日本人には到底わからない、キューバに住む人々の生活を見たからでしょうか?けれど1つだけわかったことがありました。
 「私はキューバのダンスが好きだ。本当に好きだーーーー!!!(夕日に向かって叫びたい)」ってことです。
 初めてのキューバレッスンでの先生のようになりたい。ああいうふうに人に教えられるようになれたらなんて素敵なんだろう!ってことです。
 「あの先生はNYで見た誰よりも、日本で習った誰よりも私の能力を引き出してくれる先生だった」ってことが何よりも私がキューバで得てきたことなんです。
 この体験がなかったら本気でキューバ嫌いになってたかもしれない旅行だったのです。。。。。

 しかし・・・・・
 そこで習ってきたことを私はもう殆ど忘れていました。思い出したくても思い出せないんですね。ペアだからアレクシーみたいに踊れる男の人じゃないと思い出せないし。。。
 「一体、これから日本でどうやって学んでいけばいいのだろう????」
日本にあれだけのことができる先生がいるのだろうか???新しい壁にぶつかっていることを感じて不安にもなっていました。

 

 


その7)そして新たな決意「やっぱりバンバン!アイナマー!」

 

 私は それから、アレクシーが「ボクが一番好きなバンドなんだ。」って教えてくれてキューバで買った「ロスバンバン」のCDを毎日聞くようになりました。はじめて聞いた時から、一瞬でキューバの色、におい、を思い出しました。(ちなみに街角で5ドルで買った、メディコデラサルサのCDには音が入っていなかった。ちくしょー)
 「ポネラカベサマラ!アイナマー!!!!!!」
(悪い頭は置いて、最高ーーー!って訳でいいのかどうか??)
 このバンド、この曲いいなぁーーーー!
 毎日毎日「ポネラカベサマラ」を飽きずに聞きつづけていました。
 そして、全て暗記してしまうころ。。。「 この曲で振り付けを作ってみたい。」と、思うようになりました。
 この曲は 何かが私の中で生まれてきそうなパワーの出る曲だ。
 そして決めてしまいました。
 「そうだ。。。私でもできる範囲の初めてのサルサチームを作れば、自由に活動できるぞ。。。。。。。。。」
 日本で、まだ出会っても無い「誰か」に学ぶことを不安にばかり考えてもしょうがない、、、、、
 私が人の手を借りなくても自分でできるのは、振り付けを作ること、そして仲間と楽しむことだ。難しいことなんてしなくてもいいや、今年はこれを目標にしてしまおう!!ちゃんとペアができなくても、まずこの曲で踊れるチームを作るんだ!!!!これなら明日からだってできる!!

 何にもまだ教える技術が無いけれどMACHAKOの新しい野望の始まりでした。

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