第8章 ダンスチーム結成!


その1)  最初はこんな風に始まった

 

 さて、ポネラカベサマラでチームを作って踊るという目標を立てた私は、まずキューバでのレッスンを忘れないために、自分のためになるレッスンをしないとならないと思い、友達にインターネットで探してもらったレッスン情報をはじから探し、なんと1レッスン2時間半というレッスンを発見。そこに通うようになりました。
 そこではサルサを踊り始めてから、初めての日本人のお友達もでき(まじロンリーだった私)、そして大変熱く体育会系なレッスンの日々を過ごしました。その頃友人になった女性たちで今キューバ人のだんなさんがいる方もいっぱいいるのが、時の流れを感じますねぇ。。。

 しかし私は恋愛などしているひまは無かった!(いやまじで)私の心にあるのは、とにかくキューバダンスを踊れるようになりたいということ。ただそれだけ。。。。。。。。
 レッスンでできないことがあったら家で深夜でもバンバンかけて踊りまくったし、研究したし、男役だって率先してやったし、質問もしまくったなぁ。。。。。週に2回はレッスンに行った。。。。個人レッスンも受けた。。公園で夜踊ったりもした。。。。
 その頃のレッスンの先生に1年前くらいだったろうか、こんなことをいわれたの。
 「雅子さんは最初レッスンにきたときから、この人これからどうなっていっちゃうんだろうって思った」と。
 どうなっていっちゃうって・・・・・こうなりましたとさ。(笑)

 自分はそうやってレッスンを受けながら専門学校の学生たちに「サルサっていいよぉーーー」とあまーーい誘いをかけ、10人のダンスメンバーもそろえたりもしちゃって計画は着々と進んでいきました。

 ダンスチーム結成の目標は達成間近でした。
 でもね、そんな人数を集める前に、私は女3人だけで「キューバンサルサコンテスト」にも出たのだ。
 これは知る人ぞ知る、MACHAKO初のキューバンサルサチームだったのかも。。。。。(でも曲の最後はなぜかDLGだったが、まぁキンバラだったから許して)
 ここでとりあえずやりたいことは、やってみた。とてもキュートで熱くて激しいダンスが踊れたと思ってる。。。。
 舞台上で色々脱いだなぁ。。なつかしい(!!!!!!)。
 ま、名もなきチームだったんだけど、実はそれに出てから一年後にあるイベントですっごいサルサのうまい男性から「君のことしってるよー」っていわれたのですよ。
 私は知らないから「どこで?」といったら「コンテストで。正直一番熱いチームで、これからこの人どうなってくんだろうと思った。すごいチームがでてきたもんだと思って見てた。」だって。。。。すごい興奮ぎみに話された・・・・
 どうなっていくんだろうって・・・・・こうなりましたとさ(笑)。これ言われすぎだね。。。
 そのときも「ポネラカベサマラ」をちょこっとつかったけど、その時に同じポネラカベサマラで準優勝したチームに私と同じ(いや私が同じなのか?)マサコさんという名前の人がいて、この人のダンスがすごかった。私は「日本人でもこんなにすごいひとがいるのか」とただ感動してた。
 キューバ人も顔負けのムーブメント、そして真摯にダンスを踊る姿が私の胸を打ったのだ・・・・・・・・
 トイレで偶然一緒になったとき、彼女のほうから声をかけてくれたのだけど、今でも忘れてないです。
 あんなに素敵に踊る彼女の言葉とは思えない一言。
 「あなたのチーム、フォーメーションがいいね。どうやってやってるの?」
 わたしはここまでダンスやってて、これだけうまいのにこんなに謙虚な人にあったことがないです。。。
 人って、、というか、、、人間ってやっぱその人の持ってるオーラとか雰囲気とかで、第一印象って決まると思うけど。
 彼女の印象は最高級ランクだった。。。。。まじでこの人は凄いと思ったのです。。。。
 それからちょこちょこと話をするようにはなったけど(そのたびどきどきしてた)、今でも私にとって彼女は憧れだし、あんな風に踊りたいと思ってる。形じゃなくて気持ちの意味で。。。
 形ってその人なりのものがあるでしょ。真似もできる。でもダンスに取り組む気持ちの真摯さ、謙虚さって、なかなか身近に感じられない。それが尊敬できる人ってそんなに出てこない。少なくとも私はそれまでそんな人に会ったことがあまりなかった。
 でも最初の舞台から私はそれを彼女に感じられたのがとてもラッキーだったなぁと思っているのです。
 キューバなんてはまり始めたらどんどんその世界に入り込んでなんだか知らないけど周りが見えてないような、こわい感じの人が多いなぁと思っていた頃だったので新鮮だった。。。。。こんな人になりたいと思ったんです。まじに。。。。
(いまや、マサコさんもおかあさんになられました。ああ、年月を感じるなぁ)

 とにかくその3人チームから始まった「La Bonita」は、その年の冬から10名に増えたのです。
 全員女でね。。。
 私の考えたポネラカベサマラの振り付け。それはサルサを1人でもペアでも踊ったことがないという若々しいメンバーに1からサルサを叩き込むことから始まることがこのときからわかっていました。それが本当に大変なこともね。。。。。。。
 でも大変であればあるほど燃える!(恋愛と同じじゃ)
 MACHAKOの頭の中はそれこそポネラカベサマラーだったのかもしれません。

 

 


その2)  女同士であんなことこんなこと!!!

 

 やだーー。このタイトル!みんなあまりヘンなこと期待しないでね(笑)。
 さて、その年(2000年)の12月から新生ラボニータのサルサチームの練習が始まったのですが、なにせみんなサルサなんてしらないし踊ったことがない若者ばかりなので、とりあえず私はポネラカベサマラを聞かせました。
 するとみんながいうのが「かっこいいいーーーーーーーー!!!!」という感想。(どうだい)
 やはり、おそるべしバンバン、こんな若者だってたった1度聞くだけで心をつかんじゃったんだもの。
 「ねーかっこいいでしょ!これで踊りたいでしょー!」とさらに畳み掛けるように説得し(?)。最初の1歩からサルサを教え始めたのです。
 女10人でどのようにサルサを踊るか。
 今の私だったら、キャバレースタイルや、シャイン(?ていうのだっけ)とかで振付けたかもしれない。でもその頃は私はペアダンスしかしらなかったから、当然ペアダンスをやるということにした。

・・・・・・・・・・・・考え中・・考え中・・考え中・・・・・・・・・・・
 気がつきましたかね?
 当然ペアダンス、女10人。
・・・・・・・・・・・・考え中・・考え中・・考え中・・・・・・・・・・・
 そうなのです、半分が男性になるという設定での振り付けが頭にありました。
 そしてこの案をふつーに「やろうやろう」って盛り上がってくれたメンバーたち(涙)。。。あんたたち本当に素直に育っててよかったねぇ。!!!!
 とにかく半分オトコを選ばないとならなかったんだけど当然私は男になろうと決めてた。男役大好きだし。
 ところが、ところが背の高さやらなにやら考えると、どうしても私が女じゃないとだめなことがわかってきたので女になった。(だからこそさらに大変なことになってしまったんだけどね。)

 まぁとにかくキューバのカシーノ(ペア)を1から5組に教えるって、これはあなた、まさに幼稚園の子どもたちにはさみや糊の使い方、折り紙の折り方を1から教えて造形を作り上げる工程に似たものがあります。
 根気強かったねーーわたし。
 その熱意が伝わったか、なんだかんだやってるうちに。1曲じゃ終わんなくなってきて、じゃあ2曲踊ろうってことになってた。
 初めてサルサを踊るメンバー10人、しかも全員女でのペア、それが4分の曲を2曲ぶっとおしで踊る。。。。
 とんでもないことになってきたんだけど、この挑戦を私は受けてたった!
って自分から言い始めたんだけど(笑)。もう1曲はDLGの「ベサメムーチョ」を踊りたかったのだ。 この頃CMでこの曲が使われてて「かっこいいじゃんこれも」って思ってたの。 それに、、みんなに聞かせたら「かっこいいいーーーーーー」とのことだったので。。。。やっちゃうぞーーって感じだったのだ。

 まずベサメムーチョは大人っぽいイメージで恋をテーマにした。だって「もっとキスを!」だもん(笑)
 ラストでキスシーンもあったりする(どきどき・・・)。
 そしてポネラのほうがキューバっぽくムーブメントいけいけ!ってイメージが湧いた。
 ベサメムーチョでなんて、実際やったことが無い、ペアでの大振りことも入ることになってきたし、それはそれで大変なイメージ力が必要だったけど、正直ベサメムーチョのほうが簡単に振りが出来た。
 この1曲でもほんともう充分な感じの出来だった。いまやサルサフェスティバルは1チーム4分までって感じだからいまだったら、この1曲しか踊れなかったんだと思うと昔はよかったなぁなんて思うけど。
 とにかくベサメのほうは、女10人でも、ここまでペアやってあんなこともこんなこともやってるじゃん!て人に見せて恥ずかしくないレベルで出来上がっていた。
 でも問題はポネラのほうである。
 なんせ最初にペアをやっているのに2曲目も同じようには出来ない。だから私はさらにある決意を固めた。
 「やる、ルエダを。」と。
 ここだけの話だけど、この時まで私はルエダを習ったことがあっても、それはキューバに行く前、日本ではじめてサルサをやったときのわけわかってなかった頃のみである。その頃はディレケノーも知らなかったころだ。
 それから1年、ルエダをやっていないの。
 なのにやろうと思った。理由は1つ「女だけでやるチームなんてどこにもいないだろう」と思ったから。
 そう、みなさま忘れちゃいけません。私ははじめてのもの好きなのだ。そしてメンバーもそうだった。
 わけわからんちんなのに、私が「こうなってねーこうなってわっかになって相手が変わるダンスがあるのだけど、やってみる?」って問いに「やるやるーーー面白そう!!」だったもんな。。。みんな素直な子だった。。。
 そんなわけでポネラのほうは、ルンバからシャインそして、盛り上がったところでのルエダ、そして怒涛のティンバ炸裂!って振りがイメージできた。
 まったくもって凄いチームになってきた。わくわく。。。。。

 

 


その3) ラボニータの秘密

 

 ラボニータはスペイン語で「La Bonita」と書きます。
 日本語の意味では「かわいい」とか「素敵な」とか、、、、そんな意味です。
 私はその頃祖師谷大蔵に住んでいて、そこにはキムタクのお父さんの経営しているらしいレストランがありました。
 その名も「La Bonita」
 そのまんま頂いてしまいました。(すみません)もうちょっとひねったらよかったかなぁ。
 でもいつかいつの日か、スマスマのビストロスマップにゲストで、「メニューは焼肉!!」で出ることがあったら(無いって!)このことキムタクに是非話してそしてその後の歌の時間みたいなときにラボニータ&スマップでサルサを踊ってみたいものだとひそかに企んでいます。(いーかげんにしろって?はいはい。。。。でも企むのはやめないよ)

 これからもラボニータ(通称ラボニ)を皆様よろしくね。

 

 


その4) ダンスフェスティバル世田谷に出演

 

 私の住んでいる世田谷はとても芸術に理解がある。特に地元下北沢は。演劇祭、音楽祭、そしてこのダンスフェスティバルと、世田谷に住んでいれば出れる!みたいなイベントが多い。私は演劇祭にも4年連続で出演した。
 その際、あの本多劇場で3度も大きな舞台を経験することが出来た。
 ダンスフェスティバルでのラボニはその前の年も、実はラテンフリースタイルというジャンルでラテンジャズダンスを、おどったのだけど、この年は、初サルサでの参加となった。
 ベサメとポネラは、出演者にも製作側にもウケたなぁ。製作の方からは「CDが欲しい」といわれ、観客からはポネラを「一体ダレの曲?」と聞かれた。
 実はそれ以来出ていて去年までに連続5回出場してるんです。
 ラテンジャズ、女10人サルサ、女6人動物シャイン、男女ルエダ、ルンバ&ティンバで、今年も出ようと思ってたんですが、今年は「キャバレーダンス」でね。
 沖縄のサルサの日にラボニが出演することが決まりそっちにいくことになってしまったのです。
 やはり育ててもらったような感じなので、世田谷の舞台に出れないのは、実はとてもさみしい。。。。。
 来年また出させてくださいね!!製作のみなさんが素敵で踊っててもとても安心できる素敵なイベントです!!

 

 


その5) 2000年キューバンサルサフェスティバルがやってきた。

 

 さて、世田谷ダンスフェスティバルの出場を終え、われらがラボニータ(これからはラボニと略)がいよいよキューバンサルサフェスティバルに出演するその本番がやってきました。
 順序がなってないけど、世田谷とキューバンサルサダンスフェスの間に私は2度目のキューバにレッスンにいっていたことを付け加えておく。(あとに書くキューバ編よんでねん)
 ここでも実を言うとですね、その前の年に、「ラテンフリースタイル」で、デラルスの「マンボデラルス」をラボニはトップバッターで踊ってるので、正しくは2度目の出場なのだけど、正直そのマンボデラルスは初々しいけど、サルサじゃなかったんだ。そうねぇ、たとえるならば、フラメンコ風?ラテン風?ジャズダンス風?をまぜこぜにした感じ。でもまぁ出来は良かったんだけど。。。
(だって踊り終わった瞬間に「ブラボー!」って言ってくれた人がいたもん!!そのときのサルサ120%の感想は清楚なラボニータ。だった。。。 清楚。。。実態知らないとこんな風に思われるんだ・・・・)

 ああ、ここで私のクセ?というかラボニのくせを言っちゃうと、ですね。みんなで結構自分らを誉めまくるんですよ、これが(失笑)。。。絶対に過去を振り返んない。
 超前向き集団で、しかもうるさい。。。。。。。キャーキャーワーワー本当にみんなで年足してわったら30ウン才のくせに。(現在)いや、この頃は少なくとも、平均年齢20代だったのですがね。(過去)しかし今も変わらずうるさいな。
 で、当日、なんていうか私は突然振りを変えたいとこが出てきて、なんとその近くの公園で振り付けをしたりしてた。(笑)朝の公園で、ひたすら腰を廻す女たちの図。(はい、想像想像!)
 わたしらはどうみても若かったなぁ。周りはその頃ベテランっぽいグループばかりだった。(そのころ出てた人たちは最近フェスティバルで全然見なくなった。)
 オレンジのかわいい衣装で、くつしたはいて、半分は女の子なのに男装をしてる、そしてジャズブーツのうちらは、、そう、、完全浮いていた。。。(わはは)
 みんなヒールのついたサルサシューズでキメていたからね。
 でも私はわかってた。
 「わたしらの踊り見てびびるのは、いま周りにいる人たちだ。」
 リハーサルが始まり、うちらの出番が終わると何人かの人に声をかけられた。
 「そんなに踊って・・・・大丈夫なの?」「疲れないの?」「全部女なんだよね?」
 そりゃそうだよー。かわいらしい?女の子10人が、ペアサルサ、そしてルンバ(ちょっとだけど)、キューバのカシーノ(ペア)そして女10人ルエダ、アフロテイスト、またまたティンバ(これがまた若いからはじけまくり!!)を合計8分間も踊りっぱなしなのだ。。。。こんなチームは今までいなかったことだろう。(やったー!)
 メンバーは、みんな全然ひるんでなかった。それどころか妙にぎらぎらしてる(笑)。
(こりゃ本番は凄いことになるかもしれない・・・・・・)
 一応ディレクター?の私は本当にわくわくしていた。
 そして本番がやってきた。みんなの心はもう「サルサ イ サボール!!」だった。。
 正直8分は私には長い時間だった。10人のなかで私ともうひとり30代女がいたけど、たぶん彼女もそうだったかもしれない。。。。でも体力だけじゃなくて私はこのチームの代表者だという責任も重かったためだと思う。。けれどメンバーは違っていたなぁ。本当にわたしを励ましたくれた。。。。
 1曲目のベサメムーチョが終わる頃集中力は一度切れる。でも改めてポネラカベサマラのイントロが流れ出すとみんなまた別の気持ちを作ってルンバを踊り始めるのだ。。。。。。途中男子役がかぶっていた帽子を投げ捨て、そこからルエダ(あくまでも創作)が始まる頃には、みんなは笑顔が止まらない状態になっていった。
 楽しい--楽しいーーー楽しすぎるーーーー!・・・でももう私には集中力がぁ。。。。。。そこはなんとか笑顔でごまかした。。。特に最後のアフロテイストのあたりで私はコケそうになった。(今でもビデオを見るとその部分で、はずかしくなるが)
 でも本当にラストのラストのティンバるところでは、みんながホント1つ!になった。だんだんと照明が暗くなっていくのだけど、、、その暗くなるのが妙に早く感じられて、、
 「御願いもうちょっともうちょっと踊らしてーーーー」っと心の中でさけんだ。(後で聞いたがみんなもそうだったらしい)
 終わってから、本当に私はすがすがしかったーーー。
 みんなで1から始めたサルサ、たった1年でここまでのサルサのペア、そして振りを考えられたという自信。
 でもなによりもなによりも10人で力を合わせて踊る快感に「これはもうやめられないぞ」と私は覚悟を決めた。
 それから打ち上げにいたるまでのことを私は何にも覚えていない。現在ラボニにメンバーとして入っている友人、小ワザも見に来てくれてなにやら、会社の同期の男の子が、私のチームの前のチームでおどっていたとかなんとか言ってたけど、聞く耳ないほど、踊り終えた興奮状態だった。。。。。

 打ち上げは相当楽しかった。本当に本当に楽しかった。。。。

 

 


その6) そして新しい野望が始まった。

 

 ここから話をちょいもどすと・・・・・・
 このフェスティバルの前に2度目のキューバにいったのは、私はサルサを人に教えることをこの年からやってみようと思い立ったからである。これはラボニではなく一般の人たちに。だ。(びっくり?)
 ラボニで、初めてペアを教えて、自分がかなり根気強い人間だという新事実もわかって、そしてリトミックの仕事も落ち着いてきた頃だった。
私は、サルサとリトミックには大きな共通点があることも発見していた。。。。
 それに気がついてから、私にだったらできる。って思ったんだ。。。。。なぜかっていうと、理由はたくさんあるけど。。。。。
 まず、相当にこの1年、いままでにないほどレッスンを受けて、自分でも(1人で)練習をいっぱいして、どうやったら上手く踊れるようになるか自分なりに方法がわかっていて、それを説明できると思った。だからそれを人に教えたくなったのだ。
 またその頃の日本での先生にも、「もう、教えられる。」といわれていたからというのもある。
 でも今となってこのときの話を人にすると「よくもまぁ、そんな短期間で、そこまでやろうって思ったね。(呆れ)」とまず言われてしまう。
 確かに無謀っちゃ無謀だったかもしんないね。。。。。。
 でも無謀だって、熱い気持ちには勝てないのだよ。(ここまで読んでる人にはわかる?!)
 私は、何にもサルサをしらない9人にたった3ヶ月でここまで踊りを躍らせる事が出来たんだ。。。。
 ということは私がもっともっと頑張れば、それに続いてもっともっとみんなを楽しく踊らせることになってみんなでハッピーになれるんだ。って確信してた。。。。
 それにはこの楽しいサルサを何とか1レッスンでもいいから教えていかないといけない。と思った。使命見たいのを感じてしまったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、リトミックの相方のななちゃんが、ダンススタジオで講師を募集してるって話を持ってきてくれた。
 そこは横浜だった。今まで私にとっては、働く場所として考えもしなかった場所だ。
 でも私はそこでやろうと思った。こういうのはタイミングがとても大事だ。
 「最初からわたしのことなんか何も知らない人と出会って、少なくてもいいからじっくり教えてあげられる環境にしたい」と思った。
 面接に行って、キューバから帰る4月からレッスンを始めることを取り決めた。なんだか本当に、とんとん拍子だったけど、私は「絶対にやり遂げる」気持ちだったから、あとのことは、なんにも心配していなかったと思う。
 ・・・・なんともはや、こんなに度胸が据わったのは間違いない。きっと1度目のキューバのおかげだと今では思っているけどね。(笑) そう今までのMACHAKOに、「1人でだってなんだってできる!」っていうことを教えてくれたのは、あのはちゃめちゃな、はじめてのキューバ旅行での経験があったからに違いない。

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