スーツケースに夢を詰め込んで!?出発当日がやってまいりましたぁ!
成田について、飛行機乗って、まずはアメリカ(ヒューストン)まで。(コンチネンタル航空は確かこの年から1人1台、目の前にTV画面がついてたんです。映画もずうっと好きなときに見れるし、ゲームもできるし、全然飽きずにフライトできました。)
ここまでとってもとっても順調!!
そして今度はヒューストンからメキシコへ。私にとって始めてのラテンアメリカに入国です。
入国審査を終えて、バスに乗って8ドルの宿初施設まで来るように言われてたので、そのバスを探しました。
ドライバーはとてもおしゃべりな人で、ここで初めて、スペイン語会話スタートです!
まぁ何を話したかなんて覚えてないんだけど、9,10人乗りのバスに私は1人だったから、会話本片手に、助手席でずうっとしゃべってました。でもその運転手フェルナンドさんは私の名前「マサコ」がいえないの。何度教えても「マタコー!」・・・・・「またこ」はまずいだろう。。。。でもとても気さくな人で楽しかった!歌も歌ったかな。
ドミトリー式の宿泊所に泊まるのは初めてだったけど、とても綺麗な部屋で、居心地はよかったです。(でも2ベットルームに実は私1人だったの)
隣の部屋にいたのは20歳の大学生の子で、NYに行くというので、そりゃー私の出番だわとばかりにおいしいベーグル屋さんを教えました。
メキシコ人の奥さんもとても気さくで、翌日は早いフライトなんだけど、その奥さんが飛行場まで送ってくれました。本当は送ってもらったら其の分お金払わないといけないのに「いいよいいよ」みたいに言うので、甘えてしまった。
ここで、これからカンクンからキューバに入る人にちょっと注意を教えちゃう!チケットには「MEXICANA(メヒカーナ)」って書いてあるんだけど、ハバナに入るときは「AERO CARIBE(アエロカリベ)」のカウンターでチェックインするのですよ。
絶対普通は間違えるところです。でも人がスゴイ並んでるのに、やっと自分の番がきたら「ハバナはあっちね!」っていわれたらまた並ぶのいやでしょ?これからもし行く人がいたら、これは要チェック!!
さて。チェックインして「いよいよキューバだぁ・・・・・」と感慨にふけっていたのです(それにしても其の頃のカンクンの搭乗フロアはぼろかった・・・)が、搭乗を待つ間に私はあることに気がつきました。
「ない・・・・・・ないないないーーーーースペイン語の会話本がない!!!」
一体どこへやったんだ?車の中で少し開いたところまで覚えてる。まさか奥さんの車に置き忘れたのでは??
そんな・・・・・これからどうしたらいいんだよーーー。。。。。
パニくりました。
私って結構ずうずうしいくせにいちどパニくると、マイナス思考にどどーーーーーっと落ち込む性格で。(実はそうなの)
「やばいよーやばいよー。これから10日間あれがないとしゃべれないし、困る よーーー」って泣きそうになりました。
そして、一瞬ですが、「あ、でももしかしたら、この飛行場内に同じようなの売ってるんでは?」とか考えたけど。
まったく・・・・・・・日本語のスペイン語会話本ががカンクンにあるわけないですよね。(ほんとここまで都合よく考えるだけでも相当ずうずうしい//私)
「もうあきらめた!いいやいいやなんとかなるだろ。」って(こういう風に今度は結構すぐに立ち直る)思ったとき。とんとんとん。って肩を叩く人がいたんです。
「一体誰だよ?」って振り向いたら、さっきチェックインのときカウンターで私を担当したおじさんなんです。
私が「??」って顔をしてたら、おもむろに「この本忘れただろー?」って顔して、私の会話本を差し出すんですよー。
もってきてくれたんですねぇ、わざわざ。
もうすっごい嬉しくって「ありがとー!」って日本語で言ってしまいました。
「なんかこれは幸先いいかも!!」って思いながら、いよいよキューバハバナに向かう飛行機に搭乗しました。
あたりまえだけどもう日本人なんて1人もいません。
「いよいよだー!どきどき」って、乗り込んでびっくり。。。。
「なんて小さい飛行機なのおーーー!」 しかも寒い・・・・・
「毛布ください」って言っても「Si」って言ったきり、持ってこない持ってこない。。。。。。。
結局ぶるぶる震えながらキューバまで行きました。
また着陸のときがゆれるゆれるー。さすがの私も「これはさすがにやばいんじゃないか。」って思ったのだから相当です。
ようやく着陸したとき、拍手がでましたもの。。。。。
しかしなんとかキューバまで1人でたどり着いたことで感動でした!!
(だけど、プレハブみたいな空港に、またまた「おおーーっぼろいー!」っとびっくりする私なのでした。)
その2) キューバの初印象(正直に書きますよ)
さて、入国審査を終えて、出るとキューバ人が迎えにきていました。
オズワルドさんという、キューバのアクロスの人で、黒人の日本語のうまい男の人でした。
彼の説明によると「キューバはとても安全な国なんだよ。夜1人で歩いても大丈夫だしさ。でも夜出るときはバッグはしっかりと斜めがけしてね。」とのこと。
車でハバナの中心地まで行くのですが、途中何台も車が道路に止まってどうやら故障しているようでした。
それに町並みを見ても、「店・・・・・・ってないの?」「こんなぼろぼろのところに人が住めるの?」「ひょええー本当に古い、、なにもかもが古い・・・・・・(あっけにとられる)」
しかもその時に、人が全然道を歩いていなくって、私から見たら「ぼろぼろの町、人が歩いてない。。。。」ってことで「まるでNYのハーレムみたい・・・・・」というのが町の第一印象でした。
初日、2日目のホテルはセントロにある、「リンコルン」という古いホテルでした。古いけど雰囲気は私には落ち着ける感じで気に入りました。
シングルで申し込んだけどベッドは2つ。
荷物をちょっと片付けていたら、上のほうから音楽が聞こえてきたんです。「これは、、、、サルサじゃないのー!」
思わずそのまま屋上にいってみると、やってるやってる!野外演奏の真っ最中でした。
初日からすぐにサルサが踊れるとはらっきー!っと思ったんだけど、そう、私は其のときまだ、サルサ踊れなかったんですよね。
でも初めて見る生演奏にくぎづけになりました。無料ライブだったので、席に座ってとりあえず聞いていることにしたんだけど、しばらくすると私の前のテーブルに座ってたゴキゲンそうなおじさんが(キューバ人)「ここへ来い!」みたいに手招きしてるんです。悪い人には見えないし、席を移動しました。
そこで私はビールを勧められるまま飲み(おいおいキューバ人におごって貰ってる・・・・)
しかものどが渇いてたので、どんどん飲み・・・(おいおいーーーー!)。
そしてそのテーブルのメンバーと一緒にサルサを踊りました。
本当は、「私踊れないってばーーペアダンスできないんだってーー」と言いたかったけど、そんなこと言わせてくれないもんね。)
その時確かに私は上手には踊れなかったし、途中何度もそのゴキゲンおじさんの足を踏みそうになりました。
でも、やっぱり「とても楽しいーーー!」って思ったんです。おじさんの身体から出ているリズムが絶妙でなんだか気持ちいいんですね。
生演奏のところに引っ張っていかれて、コンガを叩いたりも(めちゃくちゃだけど)して、バンドの人たちと一緒になって踊ってしまいました。。。。
あっという間に2時間がたち、演奏が終わってしまって、「えーーもう終わり?」って思ったけれど、キューバ人のみんなもみんな帰り際には私にベシート(軽くほほを触れ合うようなあいさつ)してくれて、そのゴキゲンおじさんも自分の住所を書いて「また踊ろうよ!」みたいなことを言って別れました。
「ああーやっぱキューバ人って明るいんだー!楽しい人たちなんだー!」って単純に私は思っていました。
キューバ人に関してはこれが第一印象。。。
夜になってもホテルの周りから音楽は鳴り止みませんでした。どこからともなくサルサが流れてくるのです。しかし電灯が少なく、真っ暗になった町は、やはりハーレムのようでした。
それにしても幸せな気分でした、「来てよかった。これから10日間もここにいるんだ!!」
翌日は旧市街に行く予定でした。きっとただ古いだけじゃなくって、素敵なところに違いない。と信じて私は眠りにつきました。
その3) 旧市街、そこはカルチャーショックの連続!!
さぁ、新しい朝がきました!
朝食付だったので、レストランに行ったんですが、そこででてきたものには、一瞬目を疑いました。。。。卵の色が薄い。。。黄身が黄身じゃない。これは。。。。そう!レモン色だ。パンが固い。いちおうトーストなんだけど、、、、ぼそぼそしてて、まずい。
「なんなんだ、、、、これは・・・・・」
もしかして、わたしだけにこれが出てきたのでは?と疑いの眼で、周りを見たけど、周りはみんなそれを食べているのです。
どうやらこういうのがこっちのホテルの朝ご飯らしい。。。
ちょっとがっかり。。。。。でも、気を取り直して今日は、マレコン通りを歩いて、それから旧市街にいくのだ!!がっかりしてはいられない。
ホテルのそばがマレコン通りだったので、車道を渡ってマレコン通りに出ようと思ったのですが、、思ったのですがね。
あこがれのマレコン通りにいきたくっても、車が全然途切れなくて私は10分くらいは立ち往生していたんですよ。
「今出たらここで轢かれる・・・・・」「あ、、、、まだ行けない・・・・」(やっぱり運動神経の悪さがばればれ)
するととなりに自転車にのったおじさんがやってきて、私と一緒にタイミングを待ち始めたのです。そして「一緒にここを渡ろうね!」って目でこっちを見たんです。(ちょっと安心・・・)
が、それもつかの間、私はここで10分も車が途切れるのをまってたってのに、即座におじさんは猛スピードで走る車に負けじと道路を渡ってしまったのだ!!
ええ======!!!
一緒に行くんじゃなかったのーーーーーー!!
こうなったらっと、頑張って1人で渡る決意を固めると、おじさんは向こう側で待っててくれて、しかもサインを送るのです。
「今行け!!今!!!!」
超怖かったけれど、なんとか渡った!!!
おじさんが「やったな!」って顔でにこにこしていたけどきっと心で「どんくさい日本人」と思ってたに違いない。。。。
さて、そこからかなりの時間わたしはマレコン通りを歩いて、旧市街にやってきました。 地図のコピーを完璧にしてきたし、道には迷わないぞ。と思っていました。
思っていたけれど、、、、、道がどこかたしかめる事もできないような状況に、いつのまにか私は足を踏み入れていたのです。。。
旧市街、、、、それはいままでに想像したことのない世界だったのでした。
ここで旧市街「犬の3原則」を教えましょう!
1)犬のう○こがそこらじゅうにある。(だから下を見ないと歩けない)
2)犬がそこらじゅうにいる。(飼い犬ではない)
3)犬が屋根の上にいる。(猫ではない)
そして犬以外の法則。
1)チーナ!ハポネサ!と数秒に一度はいわれる。
2)汚いものがいっぱい落ちている。
3)運動神経の無い人が歩ける道ではない。(まずつまづく)
4)地図を信用してはいけない。
5)道に瓦礫が積まれている。それも半端な量ではない。
6)黒人しか目に入らない。。。
私は本気で迷ってしまった。。。。。
ここは一体どこなんだ。もうわけがわからない。。。。。。
なんでこの犬たちはこんな道端にここまでたくさんのう○こができるのだ????そしてなんで屋根の上にいっぱいいるんだ?
屋根の上は猫っていうのが基本だと思う日本人にはこれが異常に思えてしょうがなかったのです。
地図を見ようにも、もう今どこにいるかわからないから、調べようも無い。
人に聞こうとしたけど、ガイドブックには「絶対に声をかけてくる人を信用するな」とあるし。。。
もうどうやってこの迷路から抜け出せばいいのだろう。と思っていると、1人のクバーノが、ちょっと今までの声をかける人とは違う感じで声をかけてきたのです。
見た目は「やばい」と感じられなかった。すっきりした服装をしているし、まつげがくるんっと上向きにビューラーで上げたようにカールされてるし。
どうやら、其の人は、ここから大通りにつれてってあげると言っているようだ。しかし私は注意深かった。
さっきから「タバコ!」「ヤスイ!!」「ハポネサ」などなどなにやら売り込もうとしている人ばかりがいるところなのだから。
けれど其の人は、別に何を売るというのでもなく、こっちだよって感じで私を案内していくのでついていくことにしたのです。
そして途中、警察官に其の人は呼び止められました。
「やっぱり悪い人なのではないか?」と思っていると、「旅行者とキューバ人が歩いてると必ず呼び止められるんだよ」と説明してきた。(絶対信じないぞー、、、でもあとでこれが本当のことと知る)
しかし、あの迷路の旧市街から抜けださせてくれたのだから御礼を言おうと思い。グラシアスというと、其の人が「自分のお父さんの家に来てみない?」というのでした。
やばい、、、、わたしの好奇心が「むくむく」っと動いてしまいました。
「キューバの家を見たいーーー。」
「どういう家に人々は住んでるんだろう?」
もう止められない、、、、大丈夫、なんかあっても殺されやしないだろう。。と、そこで私はその家に行ってみることにしたのでした。
その4) キューバの家庭は不思議がいっぱい
*ここからの話はまだキューバに言ったことの無い人には、ちょっとショッキングかもしれません。行ったことがある人にとってはあたりまえのような?ことが書いてあるかもしれません。
私にとっては初めてのキューバで、初めてのキューバ家庭を見たのがこのうちだっただけですけれど、何度もキューバにいくとわかってきたことは、このようなお家事情がかなり多いということです。
と、いう事を前提に、、ではスタート!
さて、その黒人のクバーノの家はセントロにありました。
旧市街からはかなり歩いた気がしましたが、なんせ、「どんな家なんだ?どんな家族なんだ?」と想像をめぐらしていたのであっという間に、着いたって感じました。
そのあたりは、なんというか長屋みたいな感じで家がずーーーっと長くつながっているという感じで、どこまでが其の家なのか?家の中に入ってもなんか屋根があるところやないところや、一体どういうつくりになっている家なのか最初はつかめない不思議な感じでした。
トイレにはドアがついていませんでした。シャワーも外にあって、どうみても水しか出そうに無い感じでした。
そのクバーノの弟が居間にいて、私をものめずらしそうに見ていました。
そしてお母さんらしき白人女性もいましたが、そのクバーノは、私にその人を紹介しませんでした。
そのあと「これも弟だよ」っていって紹介されたのが、どうみても「白人」「??全然さっきの弟と似てないじゃないか?」と思ったんだけど。
どうもそのお母さんらしき人はお父さんの再婚相手で、その弟はそのおかあさんの連れ子だということがあとでわかりました。
そして、今度は6歳くらいの男の子が学校から帰ってきました。
ここで勘のするどいわたしはわかりました。「この子はこのクバーノの息子だな」と、思ったとおり、彼が18のときに結婚して出来た子供でした。
其の子は私を見るなり走り寄ってきてベシートするので、わたしはかわいくなって、のど飴をあげたのですが、そのこはヘンな顔をして、のど飴をなめていました。
でもクバーノと其の子のおかあさんは離婚してるので、その男の子には、今はおかあさんがいないとのことでした。ああ、ややこしや。。。
と、、、、ここまでは、まぁなんとか問題なく過ぎました。
が、このあと、クバーノが私に話を持ちかけてきたのです。
「葉巻安く売ってあげるよ!」
出たぁーーーー!やはりこの人は、結局葉巻を売りたくてここにつれてきたんだ・・・・・
実を言うとここにくるまで私は其のクバーノに「あなた何してる人?」とさんざん聞いていたのです。
でもクバーノは「僕の仕事は通常の仕事じゃないんだ」としかいわないんで、あやしいっと思ってたけど。もちろん最初から、どこかおかしいとは思っていたんだけど。。。
「やっぱりこの人売人だ・・・・」
こんな家までついてきちゃった。あああーバカな私。
でも、もうこうなったらどんな品物売る気なのか、見てやろうと思いました。そして「じゃあそれ見せてよ」と私は言いました。
クバーノは奥のほうから、品物を持ってきました。
「君にこれを45ドルで売るから、君はこれを君の友達に100ドルで売ればいいよ」だってーー!!!
見た目にはまるで、ちゃんとしている綺麗な葉巻ではありました。でもきっと偽物・・・・・・
私ははっきりいいました。「私も友人もタバコは吸わないからいらない」
そういうと、クバーノは意外にもすぐに売ることから引き下がってくれました。私はかなりほっとしたのを覚えてます。。。。
そこでそのクバーノのおとうさんが入ってきました。
おとうさんは私に「日本のコインが欲しい」っていうので、私はちょうどもっていたお土産用の5円玉をあげると、相当に喜んで、おかえしにとチェゲバラの3ペソコインをくれました。(後で知ったけど、このゲバラのコインを何ドルかで売りつけるような人も旧市街にはいるらしいです。)
後、笑ったのが「これはたぶん隕石だ」といって、変な石をくれました。
そして、クバーノとお父さんはちょっと席をはずしている間、其の家に飼っている犬が2匹私のいる部屋に入ってきたのです。其の日、犬関係に結構びっくりさせられていた私だったけど、そこで起こったのは更に私を驚かせるものでした。
その部屋にはその犬2匹と私だけ、そこでその2匹がどうどうと始めてしまったのです。。。。。。。。。(あのーこのエッセイは大人が読んでますよね?いいよね?)
「ちょとーーーーーー!!やめてよ、あんたたちどこか違うところでやってよぉーーー!」と思って、どうしていいかわからないで様子は見ていたら、、、、そこにクバーノとお父さんが戻ってきました。
そのときのバツの悪さといったら。(私が悪いんじゃないのにーーー)
でもおかしいでしょ?
「そんな 2匹の犬をどうしていいかわからず見つめている日本人の図・・・・・・・」
クバーノが「この犬たちは朝もこうしてたんだ!」といって水をかけて中断させたのにもびっくりした。(荒っぽいなぁ)
で、そのあと、お父さんがサルサ踊りたいっていうんでラジオかけて私と踊りました。
キョウコのCDに入っている「NG LA BANDA」の曲が流れてきて、結構ノリノリで踊ってしまいました。
お父さんは踊りがうまかったけど、そのクバーノはサルサ嫌いといって、腰だけ動かしていたのですが、、、、、
そこで私は目が点。。。。。。。。。。。。。。。。。
「えええ?????ど、どうやって腰を回しているの?どうやったらそんなに早く動くの?」
そう、キューバ人のシントゥーラの現物をを私ははじめて見たのです。
で、「君もやってみなよ」っていうので、しょうがないのでやってみたけどあまり上手には動かないんで。
2人から「もっともっと!!!!」とかなり言われました。
踊り終わったら「リンダーーーー!!」って誉められたけど。誉められたダンスじゃなかったけどな。
そのクバーノは確かに葉巻を売ろうとしたんだけど、他には何か買わないかとかはいわないし、お父さんとの話を聞いてみると「お酒も全然飲めないし、息子はたばこも吸わないんだよ。」といいます。見た目だって全然、やばくないし。。。。なんでこんな一見好青年がこんなことをしてるのかな。。。と思っていたのですが。。。
ちょっとそのあとつたない会話ではあるけど、仕事のことやキューバのことを話していたら、其の人はキューバにあきていて、あきらめているようなことを言いました。仕事もないと言ってた。何度も「自分の仕事は普通じゃない」と言いつづけた。
聞くと妹は、ドイツにいるというのですね。キューバにきていたドイツ人と結婚して向こうで幸せに暮らしていると、この家にあるTVも、電話も、ラジオも、すべて妹がお金を送ってくれて買ったんだ。というのです。。。。
私は、きっと普通にキューバで出会って恋をして結婚したのだと、其のときは純粋に考えていました。
ところが、、、
「その出会いの場所はパラシオデラサルサ(当時もう営業はしていなかったが有名なサルサティカ)に、妹は踊りに行ってそのドイツ人と出会ったんだよ」というのですね。。。それから妹のドイツでの写真も見せてもらったのです。
とても、かわいい女性で、(若いキューバ人にはめずらしく、ぽっちゃりとしてて可愛い)其の写真には幸せそうな笑顔で写っています。
こういうようにキューバ家庭には家族の中で外国に住んでいるというのが少なくないということがあとでわかったんですが、ドルを手に入れて、生活をしていくためには、海外に家族を出さないとやっていけないようです。。。
そのパラシオデラサルサが営業を止める前には、外国人を目当てのヒネテーラ(売春婦)が、かなり多くいたということもあとでしりました。。。でも、そういうことをしているような妹さんには、写真からは見えなかったです。。。。。
まぁとにかく、そのあと無事私は解放されて、ホテルに戻りました。
しかし、この日の行動は私はあまり人に勧められないです。。。。。。。
実は自分の友達は、ある家に友人と2人で入ったら監禁されてしまったらしいのですよ。。。。お金出さないと返さないって言われたらしいです。それは怖い思いをしたんだそうです。。。
事なきを得たから良かったようなものの。。。。。。気をつけるにこしたことなし。。です。
それは、昨日の楽しいサルサライブのことなど忘れてしまうほどにショッキングな一日だったのです。キューバの生活の厳しさに触れたような。。。。日本にいたら絶対にわからないような….生きるためのなんというか、、、必死さというか。。。
このとき何枚か写真をとったりしたので、そのクバーノが「送って欲しい」というので住所を交換しました。
そして、日本に帰ったらその人から約束どおりに手紙が届いたのです。
私があげた3色入りのボールペンで、色を変えながら手紙は書かれてありました。私も写真を送ったけれど、届いたかどうかはわかりません。
日本の女性と付き合いたがって、日本にきたがるキューバ人が多いというのは其のときは私は知りませんでした。
はっきりしているのは其の人が私に日本に行きたいとは一度もいわなかったということです。
そしてあるとき、深夜に電話までかかってくるようになりました。しかも公衆電話から。。。
これにはもうびっくり。。。。いや、びっくりを超えて。どっきりじゃないかと思ったくらい!?
「なんで電話できるんだよーーー!」
だって、日本まで1分話すだけで10ドルはかかるのだから・・・・
「なんでかけてきたの?」って言ったら「話したいからだよー」というので笑っちゃいましたが。
でもね、私は嬉しくないんですよ。妹さんから送られてきたお金かもしれないし、葉巻売って稼いだのかもしれないけど、1分10ドルも使うなよ!って思ったんです。
でもそうは長く続かないんだろうし、1分話せば切れましたので。もうさすがにかかってこないだろうと思っていたけど。しばらくかかってきつづけましたよ。。。
うちの電話はナンバーディスプレイだから、海外からの電話だってわかるのです。 それも深夜の3時とかにかかってくるのだからたまったものではありません。
なんでそこまで話したかったのカナァ。
ちなみにこの電話がかかってきたのは、その初めてのキューバから、2年も過ぎたころだったんですよ。
キューバ人おそるべし。。。。。
その5) キューバで初のダンスレッスン!
さぁ、ようやくですね。このエッセイはダンスエッセイなのです!!ここからは怒涛のダンスレッスン編ですよ。
3日目に私はセントロの古いホテルから、ベダートという、新市街にうつりました。
ダンスレッスン1日目には、アクロスのオズワルドさんが迎えにきてくれました。場所はホテルから歩いて20分のUNEACという学校でした。
朝9時にレッスンをするベランダに行くと、そこには女の先生と男の先生が待っていました。そして私が挨拶をすると、その女の先生は、即座に「やりますよー!!」って感じでレッスンを始めました。
ここでのレッスンは前も書いたけど、朝9時から12時までの3時間!!! 55分踊りつづけたら5分休んで、またレッスンの続きなんです。ハードでしょー?
しかしこのレッスンははっきりいって大当たりでした。
後にキューバでレッスンをした人たちの話を聞いてみると「ええーー?? そんないいかげんなの?」って思うことが一杯あったけど。
私が受けた初レッスンは、充実してましたよーーー。
まずこの女の先生が、52歳だというんだけど、そんな年は全然感じさせないパワーがあって、すっごいかっこいいんです。きりっとしてて、背が低いけどスゴイ目力&オーラがありました。
男の先生と私が踊るんですけど、途中にアドバイスを出すのがうまいのなんの。私が「ここわからないなぁ」って思っていると、それを即座に見抜くんですよね。
「本物だ、、本物のインストラクターはこれだよ!」
私はもう目から鱗状態でした。
今までやったことの無いいろいろなサルサのステップや、ペアのスタイルもどんどん教え込んでいきます。その内容の濃さといったら・・・・・・・説明しきれないです。。。とにかく先生やる気まんまんなんですよ。
だからそれにこたえなきゃって、私も真剣になります。
私はそれまでペアは踊れなかったんですよ。なのに最初の1時間でずいぶんとスムーズに踊れているんです。
自分でもびっくり。。。。
最初に色々な1人でのステップをやるんだけど、それも見たこと無いくらいややこしかったけど、私にとっては、そのややこしさこそ、私をやる気にさせるものだったんです。
NYで食らいついてレッスンしていた頃の自分がよみがえってきました!
なんとか難しいものも踏めるようになると、今度ペアになっても、自分の足取りが軽いんですね。
スペイン語はあまりわからないけど、先生は私に何度も「エソエス!(そうよ、それよ!!)」と言いました。
でも自分が踊って楽しいのもあるんだけど私はもっとびっくりしていたのです。
それはその先生が教えるのがうますぎるということ。
男の先生にもその女の先生は「こうしたらいいわよ」みたいに指示を出すんだけど、それがズバリあたってるの。。。。
そして、見本を見せるのだけど、その女の先生と踊るほうが私は踊りやすかったんです。
「すっごいかっこいいなぁ。。。こんな小さい人なのに。」
感動のまま3時間のダンスレッスンはあっという間に終わりました。
超へとへと。もう汗もでないよ。って感じでした。
幸せな放心状態でいると、先生が「あなた、耳がいいわね。」と言いました。
?もしかしてほめられてるの?って思ったけど、そんなことより、サルサを習い始めて初めて汗をかいて踊れたことが嬉しくて、楽しくて、それに踊りながらわかったことがある。
今まで私は頭で考えてステップを踏んでいたから、楽しめなかったんだ。頭で考えてから、身体が覚えこむまでは楽しくないんだ。身体が覚えこむまでいっぱいおどらないと、踊れたって感覚にはなれないんだ。。。。。
つまり私が日本でずうっと感じていたこと。
「汗もかけないレッスンはつまらない!」というのがキューバで証明されたってことなのではないでしょうか?
キューバに来て本当によかったよぉーーー!!楽しすぎるよぉーーーー!!
人生やっててよかったあああーーーー!
レッスンの帰り道、こう叫びたいのをこらえる私なのでした。・・・
その6) テアモ事件
2日目のレッスンも、またまた目から鱗状態。
なんとこの日も9時にいくと先生たちは待ち構えていたのですが。なんと今度は3人に先生が増えているのです。
この日のレッスンは30分ごとに教える先生が変わり、残りの先生は出来てないところを言ってくれるという感じでした。
新しい女の先生は、身体の動かし方を教えてくれました。(ムーブメントね)
前日のレッスンで3時間のレッスンも身体がもつことがわかったらしく、2日目は更に厳しかった。本当に難しい技をペアでやらされました。
男の先生はまだ若くって、ペアになって私が出来ないことがあるとニコニコしてるだけなんだけど、そこで必ず女の先生が男性役を代わって「こうやってやるのよ!」って見本を見せるし、私がわからないのは今度は女役で男の先生と組んでステップなどをわかりやすく教えてくれるのです。
サルサって3人でやるとようく何をやってるかが理解できるのです。
自分が踊る、そのあとで自分が何をやっているのかを他の2人が踊るのを客観的に見ることで理解できる。
うーーん本当に納得できるーーーー!!!
そしてペアだけじゃなくて色々なキューバダンスのステップもちょこちょこっとレッスンに入れてくれるので、3時間はあっという間にまた過ぎました。
レッスンが終わって私は「日本のレッスンよりずうっと楽しい」って辞書引いて言いました。
そうしたら「あなたの耳がとてもいいからよ。」と昨日と同じ事を言います。
その日は、そういわれて素直に喜んでいました。
帰り道、男の先生(アレクシー)がやってきて、話し掛けてきました。今までレッスンでも一番無口でおとなしい人だと思っていたので意外でした。
私が「カサデラムシカとサロンドサードじゃどっちがいいサルサティカですか?」って聞いたら「カサデラムシカだよ。」というので、私が「行ってみたいんだけどなー」というと「一緒に行ってあげるよ。」といいます。
やった!!さすがに初めてのサルサライブに1人で行くのもなーと思ってた私は、其の日の10時に私のホテルのロビーで待ち合わせることに決めたのです。
それともう1つ。このアレクシーは本当におとなしい男の人だし、夜会ってなんかおかしなことにはならないだろうと、勝手に思い込んでたのでした(余計な心配??)。
ところが・・・・である。
ホテルに帰って一眠りしようとしたら、電話が鳴った。
誰だろうと取るとアレクシーなのである。
内容はというと「今日10時にそこにいくからね!!約束したからね。」というのだ。ああ、確認の電話かぁと思って、「オッケー!」といって電話を切る。
7時半、私はまだまだ眠りこけていた。するとまた電話が鳴った。誰だろうと取るとアレクシーなのである。
「10時にロビーだよ!!」
なんなんだ??
「もうわかってるってばーーーー!」って意味での「Si!!」を言うと、アレクシーがこういうのである、
「テアモ」
「テアモ?」と私が聞き返すと「バモスカサデラムシカ!(カサデラムシカに一緒にいこう!)」というので
「もうわかってるってばーーーー!」って意味での「Si!!」を言って電話を切ったのです。。。。
それからぼーーーとしながら、「テアモってどういう意味なんだろう?」って思って私は辞書を引いたのです。すると。
「テ」とは日本語で「君を」
「アモ」とは日本語で「愛する」という意味だったのですね。
もう1つ「テ」には「お茶」という意味があったけど。
「お茶を愛してる」っておかしいよなぁ。。。。
え???
「君を愛してる!!!???」
なんなんだ?キューバの男ってなんなんだーーー!!!
やっぱり私にはなんかスキがあるのかとか、いや無いぞとか・・・・・そして気がついたのです、
恐ろしいことに私はさっきアレクシーが「テアモ」といったのに対して「Que?」(何?)ではなく「テアモ?」と聞き返したつもりなのだけど。
まさか・・・・
アレクシー「君を愛しているよ」
マサコ「あなたを愛してるわ」
などとおもっていやしないだろうか??
それから10時まで一睡もできなくなった私なのでした。。。。